記憶を失って…<つかつく> 3.
<不快に感じるで有ろう内容が入っています。 不快に感じられましたならばお詫びし
ます。
また、オリキャラが出て来ます。 申し訳ありません。>
つくしが、京都に来て1回目の夏期休暇が遣って来た。
牧野家も九州に移り住んで、落ち着いて来たと言う事で、夏期休暇中に様子を見に行く事にしていたつくしだった。
つくしママに連絡して、行く日取りを伝えると、“駅まで迎えに行く。”と、言って来た。
実は、田舎な為、車の免許の取得が欠かせないこの地の為、つくしパパが長い間、車の運転をしていなかったが、練習をして運転出来る様にしたらしい。
進はまだ高校生の為、18歳になったら、免許を取得すると言っていた。
その為に、バイトに精を出しているとの事だった。
そして、つくしを迎いに行く為につくしパパが運転する道中で、つくし以外の牧野家全てが事故に遭った。
脇見運転をしていた対向車の車との正面衝突だった。
つくしは、見知らぬ番号からのTELだったが、胸騒ぎを起こし、TELに出た。
「此方、○○警察です。
牧野つくしさんの携帯で宜しかったでしょうか?」
女性の声だった。
「ご家族が事故に遭われました。
今、手術中です。
○○病院まで、お越し下さい。」
つくしは、何が何だか分からなかったが、取り敢えず、○○病院を目指した。
病院に着いて分かった事は、救急車で運ばれている時から、パパもママも進も即死に近い状態だったそうだ。
つくしは間に合わなかった。
パパのお兄さん、つくしで言えば、伯父が葬祭を執り行ってくれ、納骨も、代々の牧野家に埋葬された。
その後、つくしは、夏期休暇中で有っても課題の為、伯父には、“大学が有る。”と、伝えて、京都に戻って来た。
だが、より一層の失意の中、眩暈を起こし、大学の階段を踏み外したようで、そのまま、転がるように落ち、頭から、出血が見られ、救急車で運ばれた。
一命は取り留めたが、2週間、昏睡状態が続き、このままでは身が持たないだろうと、ドクターから言われる程、衰弱していた。
実は、つくしを助けたのは、関西では、大手になる古菱商事の古菱社長だった。
つくしが大学1年に入学して直ぐの6月の下旬に行われた学生フォーラムで、つくしが発表した経営企画の論文に感銘を受け、早くもつくしを取り込む事に決めたのだ。
その為、大学教授に会う為、大学内に居た所につくしの事故に遭遇したという訳だ。
古菱社長はつくしの顔を覚えていた為、救急車を呼び、直ぐ、つくしを病院に運び入れた。
手術中に輸血が必要との事で、つくしと同じB型だった為、輸血に応じた古菱社長だった。
そして、古菱社長の輸血のお陰で、つくしは、何とか、命は取り留めたが、昏睡状態は続いていたのだった。
つくしが昏睡状態から目覚めた時には、つくしの18年間の記憶が全て失われていた。
所謂、記憶喪失に成っていたのだ。
検査の結果、他に異常は見当たらず、脳波も異常が無かった。
つくしは、自分自身が誰なのかが分からず、名前さえも分からず、悶々とした精神状態で居た。
其処に、弁護士を伴って現れた古菱社長は、自分が父親で有ると名乗っていた。
実は、古菱社長はつくしの、所謂、『牧野つくし』としてのつくしを調べていた。
家族が全て他界し、天涯孤独の身。
ならば、古菱社長夫妻には子供が居らず、養子を希望していた事も有り、古菱社長と夫人とで相談した結果、養子に迎え入れる事に決めたのだ。
弁護士が同席の下、『牧野つくし』の戸籍から『古菱つくし』として戸籍に移った。
『牧野つくし』の経った一人の身内で有る、つくしの実父 牧野晴夫の兄がサインをした。
こうして、つくしは、『古菱つくし』としての第二の人生を歩む事に成った。