やっぱり、俺は…<つかつく> 4.
<司side>
つくしが、中学の時のダチと会った日から、また、数日経った頃…。
俺は、ババアの執務室に呼び出されていた。
「今度は、何なんだよ?」
「プロジェクトの進歩状況は、如何成ってるの?
このままじゃあ、つくしさんをNYに呼ぶ事は、難しそうね?」
「はぁ~??
ちゃんと、遣ってんだろ?
ババアが良~く分~ってる相手だろ?
そう簡単に行くかよ?」
そうなので有った。
今回の商談の相手と言うのが…。
<司side・回想>
つくしが、高校2年の頃…。
所謂、俺が高校3年の頃…。
俺とつくしは、まだ付き合い始めて…。
と言う寄り、付き合い出して、間無しに…。
俺は、つくしに、“また、明日な‼”と、言う言葉を残したまま、ババアに、拉致られる形で、NYに渡米した。
そして、つくしは、NYに俺を迎えに来てくれた時に知り合ったという、例の企業の会長と、今でも、仲良くしているらしい。
そんな会長との商談話だった。
<楓side>
私(わたくし)は、クラウン会長にお願いして、“司を鍛えて欲しい‼”と、打診した。
こんなお願いを出来るのは、『クラウン会長』以外に居なかった。
私(わたくし)は、つくしさんが繋げてくれたあの商談以降も、クラウン会長からは、眼を掛けて頂いて居る。
其れも、つくしさんを道明寺家の、所謂、司の嫁に迎え入れる事が、前提の約束事では有った。
だが、司が、例の記憶喪失に成った時は、其れは其れは、クラウン会長にご心配をお掛けした。
だが、其れも、直ぐに…。
否、私から言わせれば、少し掛ったみたいだったが…。
司は、つくしさんの記憶を取り戻した。
司が、暴漢に遭った事で、私(わたくし)にも、親の気持ちが、まだ、有ったのだと認識も出来た出来事だった。
だから、“1年、司を死んだ事にして上げる‼”と、私(わたくし)は、つくしさんに言ってはみたが…。
司の傍に、つくしさんが居さえすれば、直ぐにでも、司の記憶は、戻ると思って居た。
なのに、馬鹿な司は、つくしさんを傷付けた。
その事が、どんなに、私(わたくし)をヤキモキさせた事か…⁉
だが、今の司なら、つくしさんを守る事が出来る。
成らば、クラウン会長に鍛え上げて頂き、私(わたくし)共々、司にも、此の縁を繋げたかった。
それが、つくしさんへの、私(わたくし)からの感謝の気持ちだった。
だが、予想以上に、クラウン会長は、司を鍛えて下さっている様子だった。
勿論、私(わたくし)が、司の件をクラウン会長に打診した時に言われた言葉は、今でも、守って居る。
「私に打診した以上、楓は、司には、手出ししない事が条件だ‼」
それから後(のち)には、クラウン会長は、仰って下さっている。
「司は、良く遣っている‼」と、
しかし…。
「今の司なら、まだ、遣れる筈だ‼」とも…。
「司は、残念だが、まだまだ、甘い処が有る。」と…。
その認識も、私には有った。
だから、クラウン会長に縋ったのだから…。
夫も、了承済の案件とは言え、司を、クラウン会長に打診する事は、“まだ、早かったのか?と、反省もした。
しかし、司の誕生日パーティー前に、漸く、クラウン会長に仰って頂いた。
「司が、漸く、私の納得する話しを持って来たよ‼」
クラウン会長は、並大抵な方ではない。
自分の気に入らない商談は、どんなに良い条件でも、突っぱねる方だ。
司は、その方から、お墨付きをもらった。
私(わたくし)は、嬉しくて、堪らなかった。
あの子も、また、階段を一つ上がれたのだと…。
意気揚々と、私(わたくし)に報告して来る司が、楽しみで仕方なかった。
<上記のクラウン会長の言葉は、日本語表記をしていますが…。
全て、英語にて会話して居ると、認識して下されれば幸いです。
宜しくお願いします。>