tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  101.




<此の二次小説『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  101.』は、一部の文面の
 中に、不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



【『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  101.』のエピローグ  
 <PS.のエピローグ>】


つくしが、まだ、道明寺総合病院に入院して居た頃の事…だったのだ。


戸籍上では在るのだが、つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人の呼び名が、『おじ様』・『おば様』呼び ➡ 『パパ』・『ママ』呼びに戻った頃…。
つくしは、自身の両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人に訊く事にしたのだった。


「あのねぇ~、パパ、ママに訊いて置きたい事が有るんだぁ~。
 牧野の両親 と 私の弟の進の亡骸は、何処に在るの?
 私に教えてくれないかなぁ~。」と…。


だからだったのだ。
つくしの父親と成った 大河原社長から話しが為されたのだった。


「其の事なら、つくしは、心配し無くても良い。
 大河原家所縁(ゆかり)のお寺に牧野家のお墓を建てて、其処に埋葬して有る。
 だからこそ、牧野家のお墓につくしがお参りに行きたいのなら、何時(いつ)でも、行っ
 て来たら良い。」と…。


だからだったのだろう。
自身の父親と成った 大河原社長からそんな話しを聞かされた此の時のつくしは、恐縮し乍らも、礼儀として、自身の父親と成った 大河原社長にお礼の言葉を伝えるのだった。


「牧野家の事なのに、其処迄して頂いて、申し訳在りません。
 私の事だけじゃ無く、本当に、色々と、お気遣い頂いた様で有難う御座いました。」と…。


其処で、つくしの母親と成った 大河原夫人が口を開いたのだった。


「つくし…お願いだから、そんな他人行儀な物言いは止めて頂戴‼
 貴女は、もう、大河原家の娘…何だから。」と…。


実は、そんな風に、自身の母親と成った 大河原夫人から言われた此の時のつくしは、其れでも、自身の母親と成った 大河原夫人に即答するのだった。


「其れでも、礼儀は礼儀なので…。」と…。


だからだったのだ。
其処で、つくしの父親と成った 大河原社長は、自身の娘と成った つくしに言って除けるのだった。


「そんな風に、つくしが恐縮する必要は無い。
 何故なら…。
 つくしが大河原家の娘に成ってからというもの…。
 大河原グループの業績は、鰻上り…何だよ。
 つくしの発想は、今迄の大河原グループに無いもの…何だ。
 だからこそ、つくしが立てたプロジェクト案を見た重役達は、皆、一同に驚愕して居た
 よ。
 だから…だよ。
 私の口から大河原グループの重役達には、つくしが大河原家の娘で在る事を事前に伝えて
 置いた。
 だからだったんだろうな。
 大河原グループの重役達の間では、つくしを受け入れる事に、誰も異論を唱える者は居な
 かったという訳…だ。
 だからこそ…。
 つくしは、大手を振って、大河原家の娘で居れば良いんだよ。」と…。



実は、つくしは、以前に、自身の姉と成った 滋からそんな話しを聞いた事が有ったのだ。


「大河原グループの重役達は、既に、つくしが立てたプロジェクト案を見て、重役達の全て
 が驚愕して居たし、納得して居たわ。
 だから、つくしが会社に出勤して来る事を、今か今かと、待って居る様子だったから、先
 に、私の方から言って置いたわ。
 “私の妹のつくしは、まだ、大学生だから、会社には、出勤し無いわよ。
  だから、リモートで打ち合わせする事に成ってるの。”って…。」と…。



だからだったのだろう。
自身の父親と成った 大河原社長からの話しを聞いた事で、つくしは、以前に、自身の姉と成った 滋から、そんな話しを聞いて居た時の事を思い出したのだった。


だからこそ…。
此の時のつくしは、自身の父親と成った 大河原社長からのそんな話しを聞いて、つくし成りの思いを話しし始めるのだった。


「そう言って貰える事は、非常に有り難い話しだと思います。
 其れでも、やはり、礼儀は礼儀なので、ちゃんと、けじめを付けたいと、私は思って居ま
 す。
 なので、此処で、もう一度、お礼の言葉を言わせて下さい。
 本当に、有難う御座いました。」と、自身の頭を下げ乍ら…。


だからだったのだ。
此の時のつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人は、そんなつくしの真面目さに驚愕し乍らも、“其れが、つくしのけじめ…何だろうから…。”と、言う思いで、つくしの気持ちを受け取る事にしたのだった。


「分かった。
 つくしからの気持ちを受け取る事にし様‼
 だが、そんな他人行儀な物言いは、今日で終わりだ。
 戸籍上だとしても、今のつくしは、私達の娘…何だから…な。」と…。


だからだったのかも知れない。
此の時のつくしは、自身の両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人からのそんな思いを、有り難く、受け取る事にしたのだった。


「はい、分かりました。
 有難う御座います。」と、言いつつも、更に、自身の頭を下げ乍ら…。



実は、其の後、道明寺総合病院を退院したつくしは、自身の両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人から、そんな話しを聞いた事で司に願い出て居たのだった。


「大河原家所縁(ゆかり)のお寺に建てられた牧野家のお墓に行きたいの。
 私を其処に連れて行ってくれる?
 進に謝りたいし…。」と…。
 


実は、幾ら、過去の記憶を取り戻したとは言え、まだ、今後、如何成るか?
全く分からない状況のつくしだったので、つくしが道明寺総合病院を退院した時も、つくしは、司が運転する司の愛車に乗車して、大河原邸に戻って居たのだ。


勿論、其の時につくしを出迎えて居たのは、つくしの母親と成った 大河原夫人 と 大河原家の使用人頭で在る ばあや…だったのだ。


実は、其の時のつくしは、大河原邸のエントランスに、司と一緒に入った途端…。
此れ迄の大河原邸での生活が、走馬灯の様に、頭に蘇って居たのだった。


云わば…。
此の時のつくしは、過去の記憶だけでは無く、事故に遭って以降の『大河原つくし』としての大河原家での生活の全ても思い出して居たという事と成るのだ。


だからこそ…。
つくしの母親と成った 大河原夫人 と 大河原家の使用人頭で在る ばあやに寄って、出迎えられて居た此の時のつくしは、大河原家の自身の自室に入った後に、司に言えた言葉…だったのだ。


「私…今、全ての記憶を思い出した。」と…。


だからだったのだろう。
そんな言葉をつくしから聞いた此の時の司は、つくしの腕を掴み、つくしを自身の方へ引き寄せて、抱き締めたのだった。
其処で、つくしは、司に抱き締められ乍らも、司に願い出て居たという訳…だったのだ。



だからだったのだ。
此の時の司は、つくしを抱き締めたまま、つくしからの懇願を受け入れたのだ。


「ああ、俺も、牧野の親父さん と お袋さん と 弟にお礼を言いてぇし…。
 だからこそ、二人で一緒に行くぞ‼」と…。


其処で、司からのそんな話しを聞いて、“何で、司が牧野のパパ と ママ と 進にお礼を言うの?”と、思い乍らも、未だ、司に抱き締められた状態のつくしは、首を捻って居たのだった。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、司に抱き締められた状態で、自身が思って居た事を司に訊き始めるのだった。


「如何して、司が牧野のパパ と ママ と 進にお礼を言うの?
 私には意味が分からないんだけど…。」と…。


だからだったのかも知れない。
此の時の司は、其れでも、つくしを抱き締めたまま、つくしに言って除けるのだった。


「“如何して…。”ってか?
 其れは…な。
 牧野の親父さん と お袋さんが、此の世に、つくしを生んで育ててくれたから…だ。
 其れに、牧野のお袋さんがつくしを英徳(高校)に入れて無かったら、俺は、間違い無
 く、つくしとは会って居なかったろ。
 其れに、此れ迄の道明寺家…。
 という寄りも、ババアからの数々の無礼を謝りてぇと思ってるし…よ。
 だから…な。
 つくしの事が落ち着いたら、何れ、牧野家のお墓に俺も行きてぇと思ってた。」と…。



だからだったのだ。
つくしが大河原家での生活も、漸く、落ち着きを取り戻した事で、其の後、暫くしてから、司は、つくしを連れて、大河原家所縁(ゆかり)のお寺に建てられた牧野家のお墓に向かうのだった。
勿論、司が運転する司の愛車で向かった事は言うまでも無かったのだ。


そして、此の時のつくしは、大河原家所縁(ゆかり)のお寺に建てられた牧野家のお墓の前にしゃがみ込み乍ら、手を合わせてお参りするのだった。


“パパ、ママ…御免なさい。
 パパとママの事を忘れてしまって…。
 そして、進…本当に、御免なさい。
 あの時、私が、無理矢理、進を連れて行かなかったら、少なく共、進は、生きられたかも
 知れない。
 あの時に、無理矢理、進を連れ出した事、今では、後悔して居るの。
 強引だったお姉ちゃんを許して…ね。
 なのに、今、私だけが生きてる。
 進に何と言って謝れば良いのか?
 今の私には、分からないよ。
 進…御免なさい。
 私だけ、生き延びてしまって…。”と、涙を流しつつ、謝り乍ら…。


実は、此の時のつくしが、そんな風に、自身の心の中だけで話しして居ると思って居た言葉は、つくしの『心の声』として、つくしの口から発せられて居たのだった。


だからだったのだ。
つくしの『心の声』という名の独り言をつくしの横で聞いて居た此の時の司は、そんなつくしの独り言を聞いて居て、不安に成るのだった。


“まさか、つくしは、変な事を考えてるじゃねぇだろうな?”と…。


だからだったのかも知れない。
そんな風に不安に成って居た此の時の司は、帰り際、自身の愛車を運転し乍らも、つくしに訊き始めるのだった。


「つくし…さっき、牧野家の墓前で、言って居た話しだけど…よ。
 まさか、つくしは、変な事を考えてるじゃねぇだろうな?」と…。


だが、此の時のつくしは、まさか、自身の口から『心の声』という名の独り言を発して居るとは思っても視なかったのだ。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、きょとんした顔付きのまま横を向きつつ、愛車を運転する司の顔を、唯、じーっと、観て居たのだった。


すると、司は運転しつつも、そんなつくしを呆れ乍ら、つくしに言って除けるのだった。
勿論、そんなつくしに対して、溜息を吐き(つき)乍ら…。


「はぁ~
 あのなぁ~。
 お前の独り言は、ちゃんと、声として、お前の口から出てんだよ。
 って言うか?
 お前の心の声は、相変わらず、ダダ洩れ何だよ。
 っつーか?
 記憶が戻った途端、此れかよ‼
 つくしさんよ、いい加減にしろよ!」と…。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、「あっ⁉」と、言い乍ら、咄嗟に、自身の口を塞いだのだった。



だが、此の時の司は、自身の愛車を運転しつつも、チラッと、そんなつくしの態度を見た事で、更に、不安顔のまま、再度、つくしに訊き始めるのだった。


「で、つくしは、変な事は考えてねぇよな?」と…。


其処で、此の時のつくしは、司に言って除けるのだった。


「今迄、牧野のパパ と ママの事を忘れて居たり、進には申し訳無い事をしてしまったの
 で、謝りたかっただけで、今の私は変な事を考えてないよ。
 今、もし、変な事を考えて居たとしたら、牧野のパパ と ママ と 進だけじゃ無く、
 今の私の周りの皆を、もっと、悲しませる事に成るでしょ!
 だから、今の私は、変な事を考えたくても、もう、考えられないよ。
 正直、私が目覚めた当初は、一寸(ちょっと)だけ、そんな風に考えて居たりもしたんだ
 けど…ね。」と…。


そんなつくしからの返事は、つくしらしいと云えば、つくしらしい返答の言葉…だったのだ。


何故なら…。
つくしと言う女性は、『自分の事より、他人(ひと)の事』…。
自分自身の周りの人間を大切に想って居るからこそ、言えた言葉…だったのだろう。



だからだったのだ。
そんな話しをつくしから聞いた事で、此の時の司は、ホッとして居たのだ。


だが、一応、其の後の司は、つくしの入院中の事も含めて、現在のつくしの姉と成った 滋にも報告して置くのだった。


「つくしが入院して居た時に、そんな事を考えて居た様だ。」と…。


何故なら…。
現在の滋は、つくしの姉と成ったという事で、“つくしの事は、滋にも知る権利が在るだろう。”と、司が判断したから…だったのだ。



だが、滋は滋で、そんな話しを司から聞いた事で、“やっぱり、つくしはそんな事を考えて居たのね。”と、自身の考えが当たって居た事で、更に、不安に成るのだった。
更には、“不安が的中してしまったじゃ無い。”と、思い乍ら…。


だからだったのだ。
そんな風に不安に成る滋は、道明寺総合病院を退院した後、大河原邸に戻って来たつくしを抱き締めたまま、つくしに懇願するのだった。


「つくし…此れからは、変な事を考えないでよ。
 もし、つくしが変な事を考えでもしたら、私もつくしと一緒に就いて逝くんだから…
 ね。」と…。


だが、そんな滋の言い分は、一見すると、脅しの様にも取れるのだ。
しかも、泣き乍ら、つくしに訴えて居たのだから…。


だからだったのかも知れない。
ギョッとしたつくしは、滋を安心させるかの様に伝えるのだった。


「もう、今の私は大丈夫だから…。
 今の私にはお姉様が居るでしょ!
 もう、変な事を考えたりし無いから、安心して!」と…。


だからだったのだろう。
此の時の滋は、つくしの顔には嘘を言って居る様に見えなかったので、安心するかの様に、言って除けるのだった。


「だったら、分かったわ。」と、其れでも、未だ、涙を流し乍ら…。

いい肉の日【会いたい】…<つかつく>  番外編




11月29日…いい肉の日
(因みに、11月29日は語呂合わせで、其の他にも、『いい服の日』も有るそうです。)



<此の二次小説『いい肉の日【会いたい】…<つかつく>  番外編』は、11月29日の語呂
 合わせで制定された『いい肉の日』に合わせたお話しに成ります。
 お話しの時期がコロコロと、変わりますが、了承の程、宜しくお願い致します。>


<此の二次小説『いい肉の日【会いたい】…<つかつく>  番外編』は、一部の文面の中
 に、不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
 また、現代に於いては、相応しくない様な言葉も入って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



【『目覚まし時計【会いたい】…<つかつく>  番外編』と、同じ年の11月29日のお話
 し】


ひなが道明寺家の戸籍に入った同じ年の11月29日…。
其の日の道明寺家のディナーは、『すき焼き』…だったのだ。


実は、ダイニングルームに入って来たひなは、ダイニングテーブルの上にセッティングされて居る『すき焼き』を観て、思わず、言ってしまったのだ。


「今日は、『すき焼き』だったんだね。」と…。


其処で、司 と 進 と ひなのディナーの介添えをして居たタマは、そんなひなに説明し始めるのだった。


「今日は、11月29日…だろ。
 11月29日は語呂合わせで、『いい肉の日』と、制定されて居るんだよ。
 だから、道明寺家の11月29日では、大概、『すき焼き』 or 『焼肉』…何だよ。」と…。


其処で、ひなは、「そうだったんですね。」と、『すき焼き』を食し乍らも、タマにそう言って居たのだが、道明寺家の御曹司として育った筈の司には、そんな覚えが無かったのだ。
だからこそ、此の時の司には、言えた言葉だったのだろう。


「はぁ~??
 そんな約束事かの様に、道明寺家の11月29日は、毎年、『すき焼き』 or 『焼肉』…だ
 ったか?」と、タマに訊くかの様に…。


だからだったのだろう。
此の時のタマは、そんな事を言って来る司に対して、呆れるかの様に、返答するのだった。
勿論、溜息を吐き(つき)乍ら…。


「はぁ~
 NYに渡米して居た頃の坊っちゃん成らば、露知らず(つゆしらず)、此処(世田谷の道
 明寺邸)に居た頃の事を、坊っちゃんは、何も覚えてないんださね。
 道明寺家の11月29日は、坊っちゃんが幼い頃から、毎年の様に、『すき焼き』 or 『焼
 肉』だったさね。
 毎年の様に、幼子の坊っちゃんは、喜んでお出でだったんだけど…ね。」と…。


だが、司自身、全くと言って良い程、覚えて居なかったのだ。


だからだったのだろう。
此の時の司は、「はぁ~??」と、しか、言い様が無かったのだった。


だからだったのかも知れない。
タマだけでは無く、司の弟と成った 進 と 司の愛娘で在る ひなは、呆れるしか無かったのだった。



そして、其の後のひなが『すき焼き』を堪能すればする程、勿論、道明寺家が用意した牛肉故、其の『すき焼き』に使用されて居るお肉は、上質な最高級品の牛肉で在る事は間違い無いのだが、其の柔らかさにも、ひな自身、驚愕して居たのだ。


“お肉は柔らかいし、口の中で、直ぐ、溶けるよ。
 ううん、違うよね。
 此れは、『口の中で、直ぐ、蕩けて無く成る』の方が合ってるよ。
 美味し過ぎて、頬っぺ(ほっぺ)が落ちそうぅ~だよ。”と…。


勿論、此の時のひなは、そんな風に思い乍らも、自身の頬を左手で押さえ乍ら、思って居たのだった。



実は、そんな風に、ひなが美味しそうに『すき焼き』を食して居る所を観て居た者が居たのだった。


其れは、ひなの父親で在る 司 と 道明寺家の使用人頭で在る タマ と つくしの事を知って居る道明寺家の料理長…だったのだ。


司は、そんな自身の愛娘で在る ひなを観て居て、思って居たのだった。


“つくしも、今のひなみてぇに、美味しそうに食ってたな。
 こんなひなを見てたら、つくしの事を思い出しちまうな。”と…。


そして、タマも、また、そんなひなを観て居て、思って居たのだった。


“ひなお嬢様は、こんな所迄、つくしにそっくりなのかい。”と…。


そして、つくしの事を知って居る道明寺家の料理長に至っては、陰から、自身が味付けした『すき焼き』を美味しそうに食して居るひなを見て、つくしの事を思い出し乍ら、思って居たのだった。


“つくし様にも、ひなお嬢様とご一緒に、此の『すき焼き』を食して頂きたかった。”と…。



そして、ひなの叔父で在る 進は、自身の姪っ子で在る ひなに声を掛けて居たのだった。


「此の『すき焼き』の肉って…凄く柔らかいな。
 口の中で、直ぐに、蕩けちまうわ。」と…。


其処で、ひなも、自身の叔父で在る 進に頷き乍ら、返答するのだった。


「うん、今、私も、そう思って居た所…。
 牧野家には、勿論、無かったお肉だよね。」と…。



だからだったのかも知れない。
自身の弟と成った 進 と 自身の愛娘で在る ひなのそんな二人の会話を、こっそり、聞いて居た司は、(自身の弟と成った)進 と (自身の娘で在る)ひなに訊き始めるのだった。


「牧野家では、『すき焼き』の肉と言えば、どんな肉…だったんだ?」と…。


だからだったのだ。
司の弟と成った 進が、二人の代表かの様に、司に返答するのだった。


「『すき焼き』だろうと、『焼肉』だろうと、こう言うお肉は、牧野家の食卓には上った
 (のぼった)事は無かったです。
 と、言う寄りも、『すき焼き』だろうと、『焼肉』だろうと、牧野家の食卓では、一年に
 一度、食卓に上る(のぼる)か、如何か…だった様に思いますけど…。(*)」と…。


其処で、司の愛娘で在る ひなも、自身の叔父で在る 進の後を付け加えるかの様に、先ずは、(自身の叔父で在る)進の方を向いて訊き始めるのだった。


「進叔父さんが言って居る『一年に一度』って、私の誕生日の事だと思うんだけど、其れ
 で、間違い無いよね?」と…。


だからだったのだ。
此の時の進は、自身の姪っ子で在る ひなに頷いたのだ。


其処で、そんな自身の叔父で在る 進の様子を見たひなは、更に、自身の父親で在る 司 と 道明寺家の使用人頭で在る タマに話しし始めるのだった。


「実は、牧野家では、毎年、私の誕生日にだけ、『すき焼き』でお祝いしてくれて居たんで
 す。
 私は、3月3日のお雛祭りの日の生まれなので、其れ成りに、お雛祭りのお祝いも兼ねて、
 牧野家では、毎年、私の誕生日にだけ、『すき焼き』でお祝いしてくれて居たんです。
 と、言うのも、私が小学1年生だった頃に、友達から聞いた話しをママに話しした事が有
 ったんです。
 “「〇〇(ひなの同級生の名前)のおうちでは、〇〇(ひなの同級生の名前)のおたんじ
  ょうび(お誕生日)に、『すきやき(焼き)』でおいわい(祝い)してもらうんだ
  よ。」って、言ってたの。”って…。
 だから、“ひなも『すきやき(焼き)』を食べて視たい‼”って、其の当時の私は、ママに、
 我が儘を言ってしまったんです。
 だから…何でしょうね。
 私が小学1年生だった年の私の誕生日から、『すき焼き』でお祝いしてくれる様に成った
 んです。
 其の当時の私自身、悪気は無かったとは言え、其の当時の牧野家の家計が苦しかった事
 を知りもし無いで…。
 って、言うのか?
 薄々は、分かって居たんです。
 “もしかして、うちは、貧乏なのかも…。”って…。
 なのに、私は、ママを困らせる様な事を言ってしまったんです。
 其れでも、ママ自身は、贅沢一つし無いで、私の為に、私の誕生日には、『すき焼き』で
 お祝いしてくれたんです。
 其の後、ママが亡く成った後も、私の誕生日には、お祖母ちゃんが『すき焼き』を作って
 お祝いしてくれて居たんです。
 勿論、お肉は、『牛肉』ですけど、『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』だったんですけ
 ど…ね。
 其の時に、表示されて居るお安いお肉を購入して居たんです。
 お祖母ちゃんがそう言ってました。」と…。



其処で、司にとっては、此れ迄の人生の中で聞いた事の無い『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』と、言う肉が如何言う『肉』で在るのか?
訊いて視たく成って居たのだ。


だからだったのだ。
此の時の司は、自身の弟と成った 進 と 自身の愛娘で在る ひなの何方かと言うのでは無く、二人に訊いて居たのだ。
勿論、此の時の司は、牧野家の事をバカにして居るのでは無く、唯、素直な気持ちのまま、訊いて居たのだった。


「『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』と、言う肉は、如何言う『肉』…何だ⁉」と…。


だが、自身の此の質問に返答して来たのは、道明寺家の使用人頭で在る タマ…だったのだ。


「坊っちゃん、良いですか?
 『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』とは、手頃なお値段で買えるお肉の事です。
 庶民なら、誰でも召し上がるお肉の事ですよ。
 勿論、手頃なお値段で買えるお肉だとは言え、『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』に
 は、牛肉も、豚肉も有り、料理次第では、美味しく召し上がる事が出来るんですよ。」と…。


其処で、司は、更に、訊き始めるのだった。


「そんなに美味しいのか?
 其の『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』とやらは…。」と…。


だからだったのだろう。
ひなは、自身の父親で在る 司のそんな話しを聞いて、呆れるかの様に、クスクスと、笑い乍ら返答するのだった。


「パパは、タマさんのお話しを、ちゃんと、聞いてた(笑)⁉
 タマさんが言ったのは、“『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』自体に…。”と、言うのじ
 ゃ無くて、“『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』を使用した料理次第では…。”と、言う
 意味なの。
 『細切れ肉』は、不特定の肉の部位を寄せ集めて出来た端材の事を言うの。
 で、『切り落とし肉』は、(基本的に)特定の部位の肉の切れ端を集めて出来た肉の事を
 言うの。
 だから、『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』自体は美味しいという寄り、料理次第で
 は美味しく戴けるの。
 其れに、『細切れ肉』は、細かく切られて居るだけで、厚みもバラバラだったりするし、
 部位に寄っては、堅かったりするの。
 庶民では、ポピュラーなお肉だけど、パパなら、食べ慣れて居ないでしょうし、美味しく
 感じないかも…よ。」と…。


其処で、此の時の司は、自身の愛娘で在る ひなに訊き始めるのだった。


「と言う事は、そんな肉を、牧野家では、『すき焼き』の肉として、食ってたのか?」と…。


だからだったのだろう。
此の時のひなは、そんな風に、悲しそうに自身を見詰めて来る自身の父親で在る 司に言って除けるのだった。


「うん、そう言う事…。
 でも、其れが、牧野家では普通の事だったし、変に思わなかった。
 其れに、『細切れ肉』 や 『切り落とし肉』で食べた『すき焼き』は、凄く美味しかっ
 たよ。
 だから、其の当時の私は、嫌々、食べてた訳じゃ無かったし、牧野家の家族 皆で食べる
 『すき焼き』は、返って、嬉しかったんだよ。」と…。



だからだったのかも知れない。
此の時の司は、自身の愛娘で在る ひなからのそんな話しを聞いて居て、牧野家の『すき焼き』を食べて視たく成ったのだ。


だからだったのだ。
此の時の司は、自身の愛娘で在る ひなに言って除けるのだった。


「なぁ~、ひな…。
 其の牧野家の『すき焼き』…何だが、ひなは、作れるのか?」と…。


其処で、此の時のひなは、話しし乍らも、自身の父親で在る 司に首を振るのだった。


「実は、お祖母ちゃん と ママが、こんなに早く亡く成るだ何て、思っても視なかったか
 ら、教えて貰わずに居たの。
 『すき焼き』作りには大切な(『すき焼き』の)『割り下』って、言うのかな?
 だし汁に醤油 や みりん、お酒、砂糖等の調味料を入れて、味付けして作った煮汁の
 事…何だけど…。
 実は、其の牧野家の秘伝の『割り下』の作り方を、お祖母ちゃん と ママから教わらな
 い内に、お祖母ちゃん と ママが亡く成ってしまったの。
 というのか?
 お祖母ちゃん や ママが作って居る所は観た事が有るんだけど、其の味付けの為のそれ
 ぞれの分量自体を教わって居なかったの。
 今思えば、お祖母ちゃん と ママが、まだ、元気な内に、『割り下』の作り方を教わっ
 て居れば良かったよ。」と…。


だからだったのだ。
此の時の司は、“もう、つくしの『すき焼き』は食べられないのか?”と、残念に思い乍らも、自身の愛娘で在る ひなに言って除けるのだった。


「そうか、残念だな。」と…。



だが、其の後のひなは、密かに、タマに相談を持ち掛けて居たのだった。



fin



<(*)今回の場合、文面上、『牧野家の食卓には上った(のぼった)事は無かった』と、
    致しました。
    ですが、此の文面の本来の意味で云えば、『食卓に上る(のぼる)』では無く、
    『膳に上る(のぼる)』にした方が良かったのかも知れません。
    ですが、話し言葉として、今回は、『食卓に上る(のぼる)』の方を使用致しまし
    た。
    もしも、本来の意味とは間違って居たとしても、「此処は、『二次小説の世界』」
    と、スルーして頂けましたら、幸いです。
    了承の程、宜しくお願い致します。>

Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  100.





<此の二次小説『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  100.』の中に出て来る一
 部の文面の中に、不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
 また、此の二次小説『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  100.』は、一部の
 文面の中に、現代に於いては、相応しくない様な言葉が入って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



【『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  99.』のエピローグ  
 <つくしの口頭での診察 と 其の後の司 と つくしの会話>】


つくしは、CT や MRAの検査を受けた次の日…。
道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)から、口頭での診察も受けて居たのだった。


先ずは、道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)から質問されるのだった。


「つくしお嬢様にお伺いします。
 目を覚まされた後、何か、違和感が御座いましたか?」と…。


其処で、つくしは、目を覚ました時から感じる自分自身の置かれた状況について、道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)に伝えるのだった。


「はい、何もかも違う様に感じて居ます。
 というのか?
 今の此の状況に対して、困惑して居ます。
 何故なら…。
 私は、『牧野つくし』の筈…何です。
 でも、現在の戸籍では、『大河原つくし』と、成って居ると聞きました。
 私は、『牧野家』の娘として産まれた 一般家庭出身の娘…何です。
 しかも、極貧の…。
 ですから、今の私も、お嬢様では在りません。」と…。


実は、道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)は、道明寺総合病院のオーナー一族で在る 司の両親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保 と 道明寺HD 社長 道明寺楓から、つくしの事情は聞かされて居たのだった。


だからだったのだろう。
此の時の道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)は、つくしの顔付きを注視し乍ら、更に、つくしに質問するのだった。


「では、つくしお嬢様の中に在る 今の記憶をお聞かせ下さいますか?」と…。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、“何故、ドクターから、私の記憶について訊かれて居るのだろう?”と、首を捻りたく成る様な状況…だったのだが、素直に、質問に応えるのだった。


「私が物心着いた時からの記憶は有ります。
 でも、其の私の記憶は、私が通って居た英徳高校 2年生の時に遭った事故迄で止まって
 居る様に思います。
 あの時の記憶…。
 あの事故の記憶は、思い出したくも無い筈なのに、今でも、しっかりと覚えて居ます。
 其の後(あと)の記憶は、思い出そうと思えば、思い出せる様な気がするのに…。
 何故か、私の頭が其れを拒んで居る様にも思うんです。
 其れ等の記憶は、凄く断片的で、出て来ては消えるという感じです。
 ここ最近の私の頭の中の記憶は、きっと、曖昧に成って居る様にも思います。」と…。


そして、其の後の道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)は、其れ以上、深く追求する事無く、「様子を見て行きましょう。」と、だけ、つくしに伝えたのだった。



だが、其の後のつくしは、実際に、あの事故の前に自身の弟で在る 進と交わした会話の夢 や 事故の時の実際の出来事の夢を見る様に成り、夜に成ると、眠りに就く事が怖く成り、睡眠導入剤を処方してもらわなければ成らない程、つくしは、眠れず、疲弊して行くのだった。


だからだったのだ。
そんなつくしを見る事が辛く成り始めた司は、嘗て、自分自身がつくしだけの記憶を失くして居た時に自分自身の中で在った辛さを思い出し、つくしと接する様に成って行くのだった。


しかも、司は、何時(いつ)も、どんな時でも、つくしの傍から離れ様とせず、辛そうにして居るつくしを見ると、何も言わず、背中を摩って遣って居たりするのだった。


何故なら…。
司は、英徳高校時代に、あの港で暴漢に襲われた事から、つくしだけの記憶を失くして居た時期が有り、其の頃の記憶を取り戻して居る筈のつくしなので、其の頃の苦しかった記憶が戻って居るので在れば、司自身、“つくしから責められるかも知れねぇ。”と、何処か覚悟を決めて居たのだった。


だが、司のそんな思いとは裏腹に、つくしは、一切、司を責め様とし無いのだ。


だからだったのかも知れない。
此の時の司は、其の理由(わけ)をつくしに訊くのだった。


「なぁ~、つくしは、覚えてんだよな?
 英徳高校時代の俺が、つくしだけの記憶を失くして、イライラしてつくしに辛く当たり、
 つくしを傷付けて居た時の事を…。」と…。


だが、つくしからの返答の言葉は、司が予期して居ない物…だったのだ。
寧ろ、此の時のつくしは、そんな司を許す素振りさえ、魅せるのだった。


「あの事件は、道明寺が悪い訳じゃ無いんでしょ。
 其れに、あの頃、道明寺が言って居た言葉は、道明寺自ら、言って居た言葉じゃ無い筈で
 しょ。
 今、思い出すと、私を見ると、イライラして居た道明寺は、ついつい、言わなくても良い
 様な言葉迄、私に言って居た様に思う。
 其れに、道明寺だって、十分、苦しんだ筈でしょ。
 だから、私が許すとかじゃ無い様に思うの。
 でも、序でだから、もし、私が言って良いのなら、言わせてもらうと…さ。
 例え、私だけの記憶を失くして居たとしても、道明寺には、私を見付け出して欲しかった
 かな。
 私以外の女の子を、道明寺の傍に置いて居た事は、今、思い出すと、涙が出て来そうに成
 る。
 だから、此れからは、私だけを見てね。」と…。


だからだったのかも知れない。
そんな風に、つくしから言われてしまった司は、まだ、顔色が冴えないつくしの身体を抱き締めて、言って除けるのだった。


「ああ、分かってる。
 あの頃の俺は、如何かしてた。
 今でも、あの頃の俺に会えるなら、“殴って遣りてぇ‼”と、思う位ぇだから…よ。
 なぁ~、つくし…凄ぇ、反省してる。
 だから、俺を許してくれ‼
 其れに、あんな事は、もう二度と、真っ平(まっぴら)御免だわ。
 もう、つくしを失いたくねぇ‼
 もう、俺には、つくし以外ぇ、居ねぇんだから…よ。」と…。


所謂、此の時の司は、自分自身の思いの丈の全てをつくしに話ししたのだった。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、まだ、万全の状態では無いのだが、其れでも、司に、ニコッと、笑い掛けて、話しするのだった。


「だったら、許して上げる。
 其れに、もう過ぎてしまった事だし…ね。
 私も、道明寺しか居ないから…。」と…。



其処で、司は、つくしからの許すという言葉を聞いた事で、欲が出て来たのか?
更に、つくしに懇願するのだった。


「なぁ~、つくし…。
 今のつくしに懇願しても仕方ねぇのかも知んねぇんだけど…よ。
 もう、俺等は、高等部のガキじゃねぇだろ。
 此れでも、俺は、お前の婚約者…だ。
 其の『道明寺』呼びは、そろそろ、止めて…よ。
 今迄通り、(下の)名前で呼んでくれねぇか?」と…。


だからだったのかも知れない。
此の時のつくしは、思い出して居たのだった。


“確かに、今迄の私は、道明寺の事を、(下の)名前で呼んで居た様な気がする。
 でも、今でも、私の記憶の中では、道明寺は、『道明寺』…何だよね。
 「道明寺の事を(下の)名前で呼べるのか?」と、訊かれたら、きっと、今の私は、
 『NO(ノー)』…何だと思う。
 でも、此れからも、道明寺と一緒に生きて行きたいのなら、道明寺の事を(下の)名前で
 呼ばないといけないんだろうな。
 でも、私に呼べるのかなぁ~⁉
 じゃあ、慣れなきゃね。”と…。


だからだったのだろう。
司からのそんな期待する様な目を見ると、「駄目‼」と、言えそうに無い事を悟った此の時のつくしは、仕方無く、司に言って除けるのだった。


「善処します!」と…。


だからだったのだ。
此の時の司は、つくしからの返答の言葉を聞いて、満面の笑みと共に、“約束だぞ‼”と、言う思いと共に、つくしに言って除けるのだった。


「ああ、楽しみにしてる!」と…。




PS.


そして、其の後のつくしは、過去の記憶が無かった頃、司の事を『司さん』と、呼んで居た事も有り、自然と、『司』と、呼べる様に成るのだった。


だからだったのかも知れない。
つくしが、其の後、司の事を『司』と、呼べる様に成った事を知った滋は、つくしに懇願するのだった。


「ねぇ、つくし…。
 私は、戸籍上だとは言え、つくしの『お姉様』な訳よね。
 だったら、私の呼び名を『滋さん』じゃ無くて、『お姉様』に戻してよ。
 司だけ狡いじゃ無い⁉
 ねぇ、つくし、良いでしょ!」と…。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、例え、「今のつくしは、『大河原つくし』なのよ。」と、聞かされたとしても、未だ、『お嬢様』として慣れて居ない現在の『牧野つくし』は、“きっと、記憶が無かったからこそ、『お嬢様』で居られたんだと思う。”と、考えて居たのだった。


だが、其処は、滋…。
『強引』という名に相応しく、つくしに言って除けるのだった。


「つくし、良い?
 私の事を呼ぶ時は、此れからも、『お姉様』だから…ね。」と…。


だからだったのかも知れない。
此の時のつくしは、根負けしたかの様に、『滋さん』➡『お姉様』呼びに成ったのだった。



そして、つくしが入院して居る病室にて、そんな滋 と つくしの姿を見たつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人も、つくしに懇願するのだった。


「牧野のご両親には申し訳無いのだが…。
 其れでも、今のつくしは、もう、私達 夫婦の娘…何だよ。
 だから、『おじ様』・『おば様』呼びじゃ無くて、また、『パパ』・『ママ』と、呼んで
 くれないかい?」と…。


実は、英徳高校時代のつくしは、司 と 滋が婚約破棄をした経緯も有り、今では、つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人では在るのだが、其の当時は、つくしの事を誤解して居たのだ。


だからだったのだろう。
つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人は、つくしの件に関して誤解が解けた事と、つくしが過去の記憶を取り戻した事で、自身達の呼び名が、『おじ様』・『おば様』呼びに成って居る事を不服に思って居たのだ。


だからだったのだ。
此の時のつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人は、自身達の呼び名を、“また、『パパ』・『ママ』呼びに戻したい。”と、考えて居たのだった。


だが、此の時のつくしは、思って居たのだった。


“本当に、私は、『パパ』・『ママ』と、呼んで良いのだろうか?”と…。


云わば…。
英徳高校時代のつくしからして視れば…『疑心暗鬼』と、言うべきか?
例え、つくしがそう思ったとしても、何等、不思議では無かったのだった。


だが、其れでも、そんな風に言って来た此の時のつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人は、にこにこと、そんなつくしを見て居たのだった。


だからだったのかも知れない。
此の時のつくしは、密かに、そんなつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人の様子を見て居て、思うのだった。


“あの頃じゃあ、とても、考えられない様な光景よね。”と…。


だが、つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人の様子に根負けしたつくしは、何時(いつ)の間にか?
本当に、自然な形で、つくしは、つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人の事を、また、『パパ』・『ママ』と、呼んで居たのだった。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、更に、思って居たのだった。


“あの頃の私が、今の私を見たら、何て思うのだろうか?
 「有り得ないっつーの‼」って、叫んで居るのかも…ね。”と…。


だが、何時(いつ)の間にか?
此の時のつくしは、今の『大河原つくし』としての生活が嫌では無く成って居たのだった。


なので、其の後のつくしは、『大河原つくし』として、『道明寺家』に嫁ぐ事と成るのだった。


其れは、司が希望して居た事で、『大河原つくし』としての現在の『牧野つくし』と、また、こうして、婚約者同士に成れた事を、心の底から、“嬉しい!”と、言う想いで、司の心は、満たされて居たのだった。