tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

PVアクセスランキング にほんブログ村

Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  100.





<此の二次小説『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  100.』の中に出て来る一
 部の文面の中に、不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
 また、此の二次小説『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  100.』は、一部の
 文面の中に、現代に於いては、相応しくない様な言葉が入って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



【『Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  99.』のエピローグ  
 <つくしの口頭での診察 と 其の後の司 と つくしの会話>】


つくしは、CT や MRAの検査を受けた次の日…。
道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)から、口頭での診察も受けて居たのだった。


先ずは、道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)から質問されるのだった。


「つくしお嬢様にお伺いします。
 目を覚まされた後、何か、違和感が御座いましたか?」と…。


其処で、つくしは、目を覚ました時から感じる自分自身の置かれた状況について、道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)に伝えるのだった。


「はい、何もかも違う様に感じて居ます。
 というのか?
 今の此の状況に対して、困惑して居ます。
 何故なら…。
 私は、『牧野つくし』の筈…何です。
 でも、現在の戸籍では、『大河原つくし』と、成って居ると聞きました。
 私は、『牧野家』の娘として産まれた 一般家庭出身の娘…何です。
 しかも、極貧の…。
 ですから、今の私も、お嬢様では在りません。」と…。


実は、道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)は、道明寺総合病院のオーナー一族で在る 司の両親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保 と 道明寺HD 社長 道明寺楓から、つくしの事情は聞かされて居たのだった。


だからだったのだろう。
此の時の道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)は、つくしの顔付きを注視し乍ら、更に、つくしに質問するのだった。


「では、つくしお嬢様の中に在る 今の記憶をお聞かせ下さいますか?」と…。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、“何故、ドクターから、私の記憶について訊かれて居るのだろう?”と、首を捻りたく成る様な状況…だったのだが、素直に、質問に応えるのだった。


「私が物心着いた時からの記憶は有ります。
 でも、其の私の記憶は、私が通って居た英徳高校 2年生の時に遭った事故迄で止まって
 居る様に思います。
 あの時の記憶…。
 あの事故の記憶は、思い出したくも無い筈なのに、今でも、しっかりと覚えて居ます。
 其の後(あと)の記憶は、思い出そうと思えば、思い出せる様な気がするのに…。
 何故か、私の頭が其れを拒んで居る様にも思うんです。
 其れ等の記憶は、凄く断片的で、出て来ては消えるという感じです。
 ここ最近の私の頭の中の記憶は、きっと、曖昧に成って居る様にも思います。」と…。


そして、其の後の道明寺家の主治医で在る 道明寺総合病院のドクター(院長)は、其れ以上、深く追求する事無く、「様子を見て行きましょう。」と、だけ、つくしに伝えたのだった。



だが、其の後のつくしは、実際に、あの事故の前に自身の弟で在る 進と交わした会話の夢 や 事故の時の実際の出来事の夢を見る様に成り、夜に成ると、眠りに就く事が怖く成り、睡眠導入剤を処方してもらわなければ成らない程、つくしは、眠れず、疲弊して行くのだった。


だからだったのだ。
そんなつくしを見る事が辛く成り始めた司は、嘗て、自分自身がつくしだけの記憶を失くして居た時に自分自身の中で在った辛さを思い出し、つくしと接する様に成って行くのだった。


しかも、司は、何時(いつ)も、どんな時でも、つくしの傍から離れ様とせず、辛そうにして居るつくしを見ると、何も言わず、背中を摩って遣って居たりするのだった。


何故なら…。
司は、英徳高校時代に、あの港で暴漢に襲われた事から、つくしだけの記憶を失くして居た時期が有り、其の頃の記憶を取り戻して居る筈のつくしなので、其の頃の苦しかった記憶が戻って居るので在れば、司自身、“つくしから責められるかも知れねぇ。”と、何処か覚悟を決めて居たのだった。


だが、司のそんな思いとは裏腹に、つくしは、一切、司を責め様とし無いのだ。


だからだったのかも知れない。
此の時の司は、其の理由(わけ)をつくしに訊くのだった。


「なぁ~、つくしは、覚えてんだよな?
 英徳高校時代の俺が、つくしだけの記憶を失くして、イライラしてつくしに辛く当たり、
 つくしを傷付けて居た時の事を…。」と…。


だが、つくしからの返答の言葉は、司が予期して居ない物…だったのだ。
寧ろ、此の時のつくしは、そんな司を許す素振りさえ、魅せるのだった。


「あの事件は、道明寺が悪い訳じゃ無いんでしょ。
 其れに、あの頃、道明寺が言って居た言葉は、道明寺自ら、言って居た言葉じゃ無い筈で
 しょ。
 今、思い出すと、私を見ると、イライラして居た道明寺は、ついつい、言わなくても良い
 様な言葉迄、私に言って居た様に思う。
 其れに、道明寺だって、十分、苦しんだ筈でしょ。
 だから、私が許すとかじゃ無い様に思うの。
 でも、序でだから、もし、私が言って良いのなら、言わせてもらうと…さ。
 例え、私だけの記憶を失くして居たとしても、道明寺には、私を見付け出して欲しかった
 かな。
 私以外の女の子を、道明寺の傍に置いて居た事は、今、思い出すと、涙が出て来そうに成
 る。
 だから、此れからは、私だけを見てね。」と…。


だからだったのかも知れない。
そんな風に、つくしから言われてしまった司は、まだ、顔色が冴えないつくしの身体を抱き締めて、言って除けるのだった。


「ああ、分かってる。
 あの頃の俺は、如何かしてた。
 今でも、あの頃の俺に会えるなら、“殴って遣りてぇ‼”と、思う位ぇだから…よ。
 なぁ~、つくし…凄ぇ、反省してる。
 だから、俺を許してくれ‼
 其れに、あんな事は、もう二度と、真っ平(まっぴら)御免だわ。
 もう、つくしを失いたくねぇ‼
 もう、俺には、つくし以外ぇ、居ねぇんだから…よ。」と…。


所謂、此の時の司は、自分自身の思いの丈の全てをつくしに話ししたのだった。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、まだ、万全の状態では無いのだが、其れでも、司に、ニコッと、笑い掛けて、話しするのだった。


「だったら、許して上げる。
 其れに、もう過ぎてしまった事だし…ね。
 私も、道明寺しか居ないから…。」と…。



其処で、司は、つくしからの許すという言葉を聞いた事で、欲が出て来たのか?
更に、つくしに懇願するのだった。


「なぁ~、つくし…。
 今のつくしに懇願しても仕方ねぇのかも知んねぇんだけど…よ。
 もう、俺等は、高等部のガキじゃねぇだろ。
 此れでも、俺は、お前の婚約者…だ。
 其の『道明寺』呼びは、そろそろ、止めて…よ。
 今迄通り、(下の)名前で呼んでくれねぇか?」と…。


だからだったのかも知れない。
此の時のつくしは、思い出して居たのだった。


“確かに、今迄の私は、道明寺の事を、(下の)名前で呼んで居た様な気がする。
 でも、今でも、私の記憶の中では、道明寺は、『道明寺』…何だよね。
 「道明寺の事を(下の)名前で呼べるのか?」と、訊かれたら、きっと、今の私は、
 『NO(ノー)』…何だと思う。
 でも、此れからも、道明寺と一緒に生きて行きたいのなら、道明寺の事を(下の)名前で
 呼ばないといけないんだろうな。
 でも、私に呼べるのかなぁ~⁉
 じゃあ、慣れなきゃね。”と…。


だからだったのだろう。
司からのそんな期待する様な目を見ると、「駄目‼」と、言えそうに無い事を悟った此の時のつくしは、仕方無く、司に言って除けるのだった。


「善処します!」と…。


だからだったのだ。
此の時の司は、つくしからの返答の言葉を聞いて、満面の笑みと共に、“約束だぞ‼”と、言う思いと共に、つくしに言って除けるのだった。


「ああ、楽しみにしてる!」と…。




PS.


そして、其の後のつくしは、過去の記憶が無かった頃、司の事を『司さん』と、呼んで居た事も有り、自然と、『司』と、呼べる様に成るのだった。


だからだったのかも知れない。
つくしが、其の後、司の事を『司』と、呼べる様に成った事を知った滋は、つくしに懇願するのだった。


「ねぇ、つくし…。
 私は、戸籍上だとは言え、つくしの『お姉様』な訳よね。
 だったら、私の呼び名を『滋さん』じゃ無くて、『お姉様』に戻してよ。
 司だけ狡いじゃ無い⁉
 ねぇ、つくし、良いでしょ!」と…。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、例え、「今のつくしは、『大河原つくし』なのよ。」と、聞かされたとしても、未だ、『お嬢様』として慣れて居ない現在の『牧野つくし』は、“きっと、記憶が無かったからこそ、『お嬢様』で居られたんだと思う。”と、考えて居たのだった。


だが、其処は、滋…。
『強引』という名に相応しく、つくしに言って除けるのだった。


「つくし、良い?
 私の事を呼ぶ時は、此れからも、『お姉様』だから…ね。」と…。


だからだったのかも知れない。
此の時のつくしは、根負けしたかの様に、『滋さん』➡『お姉様』呼びに成ったのだった。



そして、つくしが入院して居る病室にて、そんな滋 と つくしの姿を見たつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人も、つくしに懇願するのだった。


「牧野のご両親には申し訳無いのだが…。
 其れでも、今のつくしは、もう、私達 夫婦の娘…何だよ。
 だから、『おじ様』・『おば様』呼びじゃ無くて、また、『パパ』・『ママ』と、呼んで
 くれないかい?」と…。


実は、英徳高校時代のつくしは、司 と 滋が婚約破棄をした経緯も有り、今では、つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人では在るのだが、其の当時は、つくしの事を誤解して居たのだ。


だからだったのだろう。
つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人は、つくしの件に関して誤解が解けた事と、つくしが過去の記憶を取り戻した事で、自身達の呼び名が、『おじ様』・『おば様』呼びに成って居る事を不服に思って居たのだ。


だからだったのだ。
此の時のつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人は、自身達の呼び名を、“また、『パパ』・『ママ』呼びに戻したい。”と、考えて居たのだった。


だが、此の時のつくしは、思って居たのだった。


“本当に、私は、『パパ』・『ママ』と、呼んで良いのだろうか?”と…。


云わば…。
英徳高校時代のつくしからして視れば…『疑心暗鬼』と、言うべきか?
例え、つくしがそう思ったとしても、何等、不思議では無かったのだった。


だが、其れでも、そんな風に言って来た此の時のつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人は、にこにこと、そんなつくしを見て居たのだった。


だからだったのかも知れない。
此の時のつくしは、密かに、そんなつくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人の様子を見て居て、思うのだった。


“あの頃じゃあ、とても、考えられない様な光景よね。”と…。


だが、つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人の様子に根負けしたつくしは、何時(いつ)の間にか?
本当に、自然な形で、つくしは、つくしの両親と成った 大河原社長 と 大河原夫人の事を、また、『パパ』・『ママ』と、呼んで居たのだった。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、更に、思って居たのだった。


“あの頃の私が、今の私を見たら、何て思うのだろうか?
 「有り得ないっつーの‼」って、叫んで居るのかも…ね。”と…。


だが、何時(いつ)の間にか?
此の時のつくしは、今の『大河原つくし』としての生活が嫌では無く成って居たのだった。


なので、其の後のつくしは、『大河原つくし』として、『道明寺家』に嫁ぐ事と成るのだった。


其れは、司が希望して居た事で、『大河原つくし』としての現在の『牧野つくし』と、また、こうして、婚約者同士に成れた事を、心の底から、“嬉しい!”と、言う想いで、司の心は、満たされて居たのだった。

×

非ログインユーザーとして返信する