tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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タマのつくしへの想い【生まれ変わり】…<つかつく>  番外編




2023年(令和5年)…秋のお彼岸


9月20日…秋の彼岸入り
9月23日(秋分の日)…中日
9月26日…秋の彼岸明け



《此の二次小説『タマのつくしへの想い【生まれ変わり】…<つかつく>  番外編』は、『お彼岸ネタ』を綴って折ります。
『秋のお彼岸』から少し日付がずれて折りますが、了承の程、宜しくお願い致します。
また、キーボードの『スペース』が打ち込めないと言う理由で、何時(いつ)もと、文面の綴り方が違いますが、了承の程、宜しくお願い致します。
詳しくは、『タマのつくしへの想い【生まれ変わり】…<つかつく>について』をご覧下さいませ。》


《此の二次小説『タマのつくしへの想い【生まれ変わり】…<つかつく>  番外編』の中に出て来る文面の中に、不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
了承の程、宜しくお願い致します。》



【『生まれ変わり…<つかつく>  1.』 と 『真実~お盆~【生まれ変わり】…<つかつく>  番外編』のエピローグ〈タマのつくしへの想い〉】


タマは、知らなかったのだ。
既に、つくしが18歳という若さで生涯を閉じて居た事を…。


だが、そんな事に成って居るとは、露程も知らずに、タマは、此れ迄、信じて疑わなかったのだ。


“つくしとどんなに離れて居ようとも、つくしは、何処かで元気で暮らして居るだろうさね。”と…。



だが、頼みの綱だった筈の司は、待てど暮らせど、何時(いつ)迄経っても、NYへ渡米したままで在り、しかも、何時(いつ)迄経っても、其の頼みの綱だった筈の司の頭の中のつくしの記憶が蘇らない事から、“何時(いつ)か、何処かでつくしと逢えるさね。”という此れ迄の『タマのつくしへの想い』は、何時(いつ)しか、タマ自身、徐々に、薄れて行く程…だったのだ。


何故なら…。
実は、司が日本に帰国して帰って来た18年後と云えば…。
タマの歳は、既に、100歳近くに成って居たのだ。


と言う事は、司が日本に帰国して帰って来る迄の18年間…。
タマは、つくしの事を案じ乍らも、司の帰国を今か今かと待って居たのだ。
勿論、司の頭の中のつくしの記憶が蘇る事を期待し乍ら…。



だが、18年間近くも経って来ると、中々、司の日本への帰国が叶わず、また、司の頭の中のつくしの記憶が蘇ったという情報が無い事で、タマ自身、考える様に成るのだった。


“例え、今直ぐにでも、司坊っちゃんが日本に帰国して帰って来たとしても、また、司坊っちゃんの頭の中のつくしの記憶が蘇ったとしても、直ぐに、つくしが見付かる保証は無いださね。”と、悲しそうに…。



実は、タマがそんな風に考える程、タマ自身、時間が無かったのだ。
と言うのも、タマは、既に、自分自身の死期(しき)を感じ取って居たのだ。


だからこそ、漸く、18年経ってから、司の頭の中のつくしの記憶が蘇ったとしても、タマは、つくしと会わずしてつくしと別れてしまう事を危惧する程…だったのだ。


其れ位、タマ自身、自分自身の死期(しき)が近付いて居る事を危惧し始めて居たという訳…だったのだ。


言い換えれば、タマは、一目見るだけでも良いから、つくしに会いたかったのだ。



だが、何れ、誰にでも『死』というものは遣って来るのだ。
其れは、タマも例外では無く、等々、タマにも其の時が遣って来たのだ。


其の時とは、司が日本に帰国して帰って来た日から、更に、2年後の事…だったのだ。
タマは、老衰に寄り、此の世を去ったのだった。


云わば…。
タマの望み通りに、現世でつくしと再会する事は出来無かったのだが、其れでも、あの日から長らく別離して居たまま逢う事が出来無かったタマの旦那様(主人)の下に、タマは旅立ったという訳…だったのだ。



実は、自分自身が日本に帰国して帰って来た後、つくしの記憶が蘇った日…。
司は、あきらに連絡を入れる前に、自分自身の頭の中のつくしの記憶が蘇った事をタマに伝えて居たのだった。
自分自身の苦しい胸の内をタマに報告するかの様に…。


そんな事実の話しを司から聞かされた此の時のタマは、当然の様に、司に訴えたのだった。


「坊っちゃん…遅過ぎますよ。
タマは幾つだとお思いですかい?
100歳近く迄生きさせて頂きましたからさね。
もう待ち草臥れましたよ。
実の事を言うと、つくしに会いたいのは山々ですが…ね。
タマは、つくしが見付かる迄に、後、どれ位待てば、宜しいのでしょうかね?」と…。
「………」


実の事を言えば、此の時の司自身、涙を流し乍らもそんな言葉をタマから言われてしまい、タマに返答する言葉を失って居たのだ。


実は、此の時の司自身、そんなタマの辛そうな顔付きと話し振りを見聞きして居て、つくしの記憶を失ってしまって居た此れ迄の自分自身の18年間の事を、其れ程迄に後悔するのだった。


だが、此の時の司は、其れでも、そんなタマに詫びを入れるかの様に話しし始めるのだった。


「ああ、全ては俺が悪かった。
俺がもっと早く、牧野の事を思い出して居れば良かったのに…な。
後悔しても後悔し切れねぇよ。」と、悔しそうに顔を下に向け乍ら…。



そして、タマとそんな話しをして居た後の司は、18年間、不義理をして居たあきらに連絡を入れて居たという訳…だったのだ。


だからだったのだ。
18年間、司が不義理をして居たあきらに連絡を入れた事で、司は、あきらからつくしの事を聞かされたのだった。


「司、冷静に聞いて欲しいんだが…。
牧野は、18歳の時に病に倒れて、亡く成ったんだ。」と…。



だからだったのだ。
そんな話しをあきらから聞いた後の司は、“今更、『後の祭り』だよな。”と、男泣きに涙を流し乍らも、更に、後悔しつつ、あきらから聞いた話しをタマに報告するのだった。


だからだったのかも知れない。
司からそんな話しを聞かされた此の時のタマは、涙を流し乍らも、司に訴えるのだった。


「今更、坊っちゃんからつくしの事を聞かされても、タマには如何する事も出来無いさね。坊っちゃんは、そんなタマに如何しろと仰りたいんでしょうかね?
ですから、タマは、あの頃に坊っちゃんに言いましたでしょ!
“坊っちゃんは、きっと、忘れた事を後悔する時が来るでしょうね。”と…。
其れが今ですよ、坊っちゃん。
其れにしても、例え、あの頃の坊っちゃんがああいう状況だったとしても、本来なら、3人の坊っちゃん方がつくしの事をタマに教えてくれても良い筈ですが…ね。
結局、3人の坊っちゃん方は、タマに冷たいお人達だった様だね。」と、恨み節を言うかの如く…。



だからだったのだろう。
そんなタマの話しを司から聞いた此の時のF3達は、年齢的にも起き上がる事がきつく成り、床に臥せったままのタマを見舞い、それぞれ、タマに詫びの言葉を告げるのだった。


「てっきり俺は、タマさんにも伝えて在ると思って居たよ。
言わずに悪かったね。」


「タマさん、牧野の事を伝えて無くて悪かったよ!」


「ちゃんと、タマさんにも牧野の事を伝えて置くべきだったよ。
俺が迂闊だった。」と…。



だが、そんな風にF3達がタマに言い訳の話しをした処で、事実、誰からもタマには伝えられて居なかったのだから、本来なら、類 と 総二郎 と あきらのそれぞれに、タマ自身、何か言って遣っても良い様なものなのだが、類 と 総二郎 と あきらのそんな言い訳の言葉を聞いて居ると、其れ以上、タマ自身、F3達に何も言い出せなかったのだ。


何故なら…。
此の時の類 と 総二郎 と あきらのそれぞれの顔付きは、タマにつくしの真実を話しして居なかった事で辛そう…だったからなのだ。



そして、更に、2年後、タマは、老衰に寄り、此の世を去ったという訳…だったのだ。


だからだったのかも知れない。
司自身、あきらからつくしの話しを聞いて後悔して居たとしても、また、例え、つくしの事を知った時期が手遅れだったとしても、タマが元気な内に日本に帰国して帰って来てつくしの事を思い出せた事は、“まだ、牧野に許しを請う(こう)事が出来る範囲内だよな⁉”と、言い訳かの様に思って居たのだった。


そして、また、類 と 総二郎 と あきらのそれぞれは、事前に、つくしの事をタマに伝えて居なかった事を後悔し乍らも、其れでも、タマが元気な内に詫びの言葉を伝えられた事をホッとして居たのだった。


だからだったのだろう。
其の後のF4は、毎年、『春のお彼岸』と『お盆』と『秋のお彼岸』に成ると、それぞれ、タマのお墓参りを欠かさなかったのだ。



そして、美桜と出会い、美桜と付き合い始めた後、進と再会した司は、進からつくしのお墓についての話しを聞いた事から、タマのお墓も建てられて在る道明寺家所縁のお寺につくしのお墓を建て、タマのお墓参りと一緒につくしのお墓参りも欠かさずお参りして居たのだ。


其れは、タマのお墓参りと同様に、つくしのお墓参りも、毎年、『春のお彼岸』と『お盆』と『秋のお彼岸』に、司は美桜を一緒に連れて、欠かさずお参りして居たのだ。



実の事を言うと、司と一緒につくしの墓前に手を合わせると言う事は、美桜とって、不思議で、尚且つ、複雑な気持ち…だった事は言うまでも無かったのだ。


だからだったのだ。
此の時の美桜は、つくしの墓前に手を合わせる事自体、複雑な様で不思議な気分に成って居たのかも知れない。



だが、実の事を言うと、美桜にとってのつくしは『はとこ』で在り、元々、親戚関係という事から、つくしの存在は見えなくても、美桜自身、何時(いつ)しか、そんなつくしの事を姉の様に慕い始めるのだった。


そして、其の後の美桜は、司と一緒に、何度かつくしの墓前に手を合わせる内に、徐々に、何時(いつ)の間にか、“【つくしさんの魂=自分自身(美桜)の魂】では無く、前世では、つくしさん と 私は姉妹だったのかも知れない。”と、さえ考える様に成って居た程…だったのだ。


だからだったのだろう。
此の頃の美桜は、つくしの墓前に手を合わせる時には、何時(いつ)も、お願いして居たのだ。


“つくしさん…。
何時(いつ)迄も、司さん と 私の事を守って下さい。”と…。



其れは勿論の事…。
司もまた、美桜同様に、つくしの墓前に手を合わせる時には、何時(いつ)も、お願いして居たのだ。


“つくし…。
俺は、勿論、つくしの事を愛して来た。
けど…よ。
つくしの言う通り、つくしの魂を引き継いで生まれて来た美桜の事も、つくし同様に愛してる。
だから…よ。
此れからの俺 と 美桜の事を守ってくれ!”と…。



こうして、其の数年後の司 と 美桜は、結婚する事と成るのだった。



PS.


実は、類 と 総二郎 と あきら と 滋 と 優紀 と 桜子は、勿論、つくしの他界の件は知って居たのだ。


何故なら…。
つくしは、司がNYに渡米後も英徳高校に残って居たから…だったのだ。



だが、つくしが他界後のF3&T3は、牧野家とは疎遠状態に成って居た事も在り、つくしのお墓の件について、全く知らなかったのだ。


実の事を言うと、F3&T3は、てっきり、“牧野家にも先祖代々のお墓が存在して居るだろう。”と、それぞれ、そう考えて居たのだ。


だからだったのだ。
其の後、つくしのお墓の件について、司から話しを聞かされた此の時のF3&T3は、それぞれ、同じ様な事を考えて居たのだった。


“まさか、牧野(つくし・先輩)にお墓が建てられて居なかったとは…。”と…。



という訳で、司が道明寺家所縁のお寺につくしのお墓を建てた事を、司本人から話しを聞き知った其の後のF3&T3は、タマのお墓参り同様に、毎年、『春のお彼岸』と『お盆』と『秋のお彼岸』にはつくしのお墓参りをする様に成るのだった。



fin




<此の二次小説『タマのつくしへの想い【生まれ変わり】…<つかつく>  番外編』の中に出て来る文面の中に『ねぇ』と言う文字が入って折ります。
実は、キーボードの『X』を打ち込む時に分かった事なのですが、『ねぇ』と打ち込むには、キーボードの『E』の前に、先に、『X』を打ち込まなければいけない事も承知して居りますので、キーボードの『E』の前に、先に、『X』を打って居たんです。
ですが、幾ら、キーボードの『X』を打ち込んで視ても打てない事が判明致しました。
という訳で、有りと有らゆる所から変換して、如何にかこうにか、やっとの思いで『ねぇ』と綴る事が出来ました。
しかも、此方をご覧下さいましても、読み辛く、お手数をお掛けするとは思いますが、了承の程、宜しくお願い致します。〉

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