tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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NYで会えるなら…<つかつく>  1.


<一部に不快に思われるで有ろう箇所があります。  不快に思われるようでしたら、お
 詫びします。>


 
分岐点とプロローグ…司の記憶が戻って、楓より1年の猶予を貰った司とつくし…。
          その後、司の父親で有る道明寺保が病に倒れ、司は、後継者とし
          て、道明寺HDには無くてはならない存在に成る。
          その為、楓が司をNYに連れて行ってしまった。
          後日、楓は、つくしに会いに、日本に帰国して帰って来た。
          つくしに会う為、牧野家を訪れ、司との1年の猶予を取り消し、
          今後、一切の道明寺家との関わりをお断りするとの誓約書を持って
          来た。
          つくしは、サインせざるを得ない状況だった為、楓が持って来た
          誓約書にサインをした。
          その後、司との連絡を一切経ったつくし…。
          司もつくしの事は気に成りながらも、気にして居られる程、暇では
          無く、司とつくしは、いつしか、疎遠に成っていった。
          楓の思惑通りに事は動いているかのように思われていたが…。



つくしは、司と、疎遠になってからも、家族皆のお陰で、英徳高校に残れていた。
しかし、あの、楓との一件以来、つくしの父親 晴夫が心労から病に倒れ、入院する事無く自宅療養中、病に負けてしまった。
つくしが高校3年の新年を明けて、直ぐの事だった。
その後、つくしの母親 千恵子も、晴夫の看病疲れからか、無理が祟り、つくしが英徳大学に入学して、直ぐ、病に負けてしまった。
相次いで、両親を亡くしたつくしは、英徳大学側と相談したが、特待生として、英徳大学に進んでいた為、そのまま、英徳大学に残れる事となった。
その後も、F3&T3とも仲間として付き合っていたが、誰も司の事は口にする者は居なかった。
つくしも大学の学業(特待生として、成績を落す訳にはいかなかった。)とバイトに縛られる日々が続き、司の事を思い出す暇は無かった。



それから、つくしと進は姉弟二人で、力を合わせて、何とか生活していた。


つくしが大学2年、進が高校2年になった頃、つくしが大学に提出した論文が教授に認められ、その年、京都にて行われた国際学生フォーラムのシンポジウムでつくしの提出した論文が発表され、つくしは、時の人となった。
海外でも、つくしは、時の人となっていた。
この情報を知った…、(NYに渡米したつくしが)且てNYで知り合った『キア~イ』のおじさんに声を掛けられる事になった。


「ツクシ、ワタシハ、アナタヲ、ズーット、ミテキマシタ。
 イッショニ、NYニ、イキマショウ。
 モチロン、オトウトサンモ、イッショニ。」


おじさんは、あのNYでつくしと別れて以来、つくしの素性・動向を調べ上げ、つくしを取り込む為に、日本語を勉強していたので有る。


つくしは、才女で優秀、性格良しの人物で有る事を分かった上で、NYでつくしを企業人として育ててみたいと思っていたので有る。


つくしは進と相談して、後日、相談結果を伝える旨をおじさんに伝え、その日は別れた。
そして、進が、“NYに行ってみたい。”と、言って来たので、NYに拠点を置く事にしたつくしと進であった。
F3&T3には、何も言えず、後悔はしたが、言えば、司に情報が伝えられるかも知れないという恐れが有った為、伝えずに、渡米したので有った。


F3&T3が気付いた時には、つくしのアパートは者家の空となっていたので有る。
勿論、英徳大学も個人情報の漏洩に当たるとして、大学の編入先は教えてもらえず(進の高校側も然り)、また、つくしと進の情報は一切、遮断され、見付け出す事は出来なかった。



あれから、3年は経っていた。

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