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花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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Two years later~二年後~…<総優>  短編 前編




<此の二次小説『Two years later~二年後~…<総優>  短編』は、『At the time of 
 two years~二年の時~…<総優>  短編』の『spin off』と、成っております。
 『At the time of two years~二年の時~…<総優>  短編』と、合わせてご覧下され
 れば、幸いです。
 宜しくお願いします。>



<総二郎side>


優紀と別れて2年が経った。


俺と優紀は、俺が大学3年、優紀が大学2年に成った頃…。
俺から告白して、付き合い出した。


其れから、5年付き合い…。
俺は、そろそろ、優紀とケリを付けて、結婚したかった。


だが、丁度、其の頃…。
俺に、縁談が持ち込まれた。


其れも、西門流にとって、外せない所からの縁談…。


俺は、家元と家元夫人からは、優紀と別れる様に言われていた。


別れられる筈等、今の俺には、無かった。


だが…。
家元と家元夫人が、“西門流の為と言うなら…。”と、俺は、渋々、了承をした。


その代わり、俺は、俺の両親で在る家元と家元夫人に、妥協案を提示した。


此れには、家元と家元夫人は、驚愕して居たが…。


「俺は、家元と家元夫人を、今後、俺の両親だとは、思わねぇ。
 其れと、俺と優紀を無理矢理、別れさせるんだ‼
 俺の幸せは、もうない。
 孫を期待しねぇでくれ‼
 俺の両親でもねぇんだから…。
 俺の子供は、あんた等の孫じゃねぇ。
 元々、俺の子供は、この先、優紀との間でしか、俺の中ではねぇ。
 其の優紀と俺は、別れるんだ。
 後継者は、俺には、要らねぇ。
 其れと、相手の女とは、一緒には住まねぇ。
 優紀以外の女と一緒に住む気もねぇ。
 俺は、マンションで暮らす。
 其れと、仕事は、京都のみ、受ける。
 以上だ‼
 此の件を呑んでくれねぇなら、俺は、次期家元の座を辞退する。
 此の件を呑んでくれるなら、文書化して渡すから、サインしてくれ‼」


この時の俺は、真剣そのものだった。




【プロローグ】


家元と家元夫人は、此の妥協案を呑まなければ、長男の様に、総二郎は、西門家から出て行く事が分かって居るので、此の妥協案を呑む事にした。



そして、総二郎は、優紀と別れた。


その後、総二郎は、婚約者と結婚した。
唯の名前だけの結婚だったが…。


そして、総二郎は、優紀と一緒に過ごした此の東京に居る事も辛く成り、京都の仕事を終えた後…。
そのまま、京都の西門邸に居着いてしまい、そのまま、東京には、戻らなく成った。


その事を知った、総二郎の妻(?;戸籍上のみ)は、家元と家元夫人に、自分自身も、京都で、住むと言って居たが…。
総二郎は、来ささなかった。


“次期家元夫人としての役割が在る。”と、突っぱねて、東京に残る様に、内弟子を通して伝えていた。


妻にとっては、屈辱的だった。


“『西門総二郎』の妻に成る。”と、自慢げに触れ回って居たのに…。
唯の一回も、総二郎の『party』の同伴をした事が無かった。


優紀だけが…。
此の5年間の総二郎のパートナーと言えば、優紀だったのだ。


所謂、総二郎と優紀が付き合って居た頃は、総二郎の『party』のパートナーを、優紀が務めていた。


其れだけに…入籍後、二年が経って。
妻にとっては、妻としての立場が、危ぶまれる処まで来ていた。


妻としては、屈辱的という事態が起こったのだ。


何故なら、東京で、総二郎を見掛ける事が無く成って来て居たからだった。



なので、噂が出回る様に成って来ていた。


「此の結婚は、やはり…。
 単なる、『政略結婚』だけの事だったのじゃないか?」と…。



『妻』とて、名ばかりで、嘘を付き通すには、妻自身、そろそろ限界が来ていた。
総二郎の子供さえ出来れば、此の状況を回避出来ると思って居た妻だったが…。


家元夫人から聞いた言葉に、妻は、驚愕しか無かった。


「総二郎からは、結婚前に、“この結婚は、名前貸しだけだ‼”と、言われて居るの。
 総二郎とは、念書まで、交わしてしまって居るから、此の事は覆らないわ。
 だから、西門流の総二郎の後の後継者は、巧三が結婚したら、巧三の子供に継がせるつ
 もりだから、了承して下さるかしら?」
「………」


妻は、何も言えなかった。


結婚前から、決まっていたという此の家元夫人からの言葉に、怒りしか感じられなかった妻だった。


今までは、何だったのか?
何の為の結婚だったのか?


“総二郎を手に入れられた‼と、思って居た自分自身(妻)は、何だったのか?”


“あの女(優紀)に、私(わたくし)は、勝ったのよ‼と、思って居たのは、何だったのか?”


妻は、イライラだけが、付き纏って居た。



其れに、此の妻にとっては、更に、屈辱的な用件が有ったのだ。


東京の西門邸の総二郎の自室に入れたのは…。
後にも先にも、優紀だけだった。


更でさえ、幼少期の頃のみだった。


其れも、小学3年に成った頃の更は、既に、西門邸には出入りして居なかった。


其の頃の事を、西門流の内弟子から聞き付けた妻は、総二郎の自室に入ってみたかった。


其れなのに、総二郎の自室とマンションの鍵を持って居るのは…?
使用人頭のみだった。


総二郎の自室の掃除も使用人頭が務めていた。
勿論、マンションの部屋の掃除も、使用人頭が務めていた。


どんなに妻が、懇願しようとも、使用人頭は、此の件に関しては、譲らなかった。


「総二郎様とのお約束と成りますので、了承願います。
 私の信用問題にも拘りますので…。」


何事も、妻自身の思い通りに成らない事に、仕舞いには、妻は、ヒステリックに成って行った。


此れを境に、妻は、入院する事に成った。
何故なら、妻は、半狂乱に成り、怒鳴り散らす様に成ってしまったからだった。


そして、体裁を構う家元と家元夫人は、此の状況に苦慮する事に成り、妻の両親と話し合いを持った。


しかし、話し合いは、平行線のまま、終わってしまった。
だから、家元と家元夫人は、一方的に、総二郎と妻とを離婚させたのだった。


勿論、慰謝料は、妻側から、請求は有ったが…。
棄却された。


実は、此の政略結婚というのが、元々、両家、納得の上での、結婚だったのだ。


知らぬは、妻だけだった。


妻側の両親は、何れ、総二郎から折れて来るとばかり思って居たのだった。



此の政略結婚で在る 総二郎の離婚までの歳月には、結局、2年が掛かっていた。

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