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花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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初めての七五三【取り戻したい…<総優>】…<F4&T4&静>  番外編①




11月15日…七五三
(『七五三』の起源は、平安時代の中頃に天皇や朝廷に仕える公家の間で行なわれていたの
 が由来だそうです。
 ですが、11月15日が『七五三』の日と定まったのは江戸時代の中頃との事です。
 ※三歳は『髪置きの儀』と言われ、男の子・女の子(地域に寄っては、女の子のみの場合
  も有る)の健やかな成長を祝う儀式〈鎌倉時代から江戸時代迄行なわれていた子供が髪
  を伸ばし始める為の行事事だったそうです。〉
 ※五歳は『袴着(はかまぎ)の儀』と言われ、男の子の成長を祝う儀式〈初めて袴を履く
  儀式だったそうです。〉
 ※七歳は『帯解き(おびとき)の儀』と言われ、女の子の成長を祝う儀式〈初めて帯を締
  めて上げる儀式だったそうです。〉)



〈此の二次小説『初めての七五三【取り戻したい…<総優>】…<F4&T4&静>  番外
 編①』は、本来なら、『七五三』の日で在る『11月15日』に投稿したかったのですが、此
 方サイドの勝手な都合に寄り、投稿日が遅れて折ります事をお詫び申し上げます。〉



【『ハロウィン【取り戻したい…<総優>】…<F4&T4&静>  番外編』の翌年の11月
 15日のお話し】


【総優】


英徳学園 幼稚舎に入舎(=入園)して一年半以上が経った年中組に通うF4Jr.達は、随分と幼稚舎生活にも慣れて来たのだ。
そんな或る日の事…『七五三』の日で在る『11月15日』を迎え様として居たのだ。



実の事を言うと、其の年の正月を迎えた1月の中頃の事…。
西門家では、ちょっとした一悶着が起こったのだ。


と言うのも、実は、西門家では、総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人が、総二郎の妻で在る 優紀に訊ねた事から始まったのだ。


「本当は、私(わたくし)の方から優紀さんにこんな事を言いたくは無いのよ。
 本来でしたら、優一郎は貴女の息子ですから、先に、優紀さんに気が付いて欲しかったん
 だけど…。
 でも、優紀さん自身、慌てて居らっしゃらない様だから、私(わたくし)は心を鬼にして
 お話しするわね。
 優一郎は、今年のお誕生日が来たら5歳に成るのよね。
 と言う事は、優一郎は、今年の『11月15日』に『七五三』を迎えるのよ。
 だから、そろそろ、『七五三』の日に履く優一郎の『袴』を用意して上げなくちゃ成らな
 いわよね?
 優紀さんは、如何なさるおつもりだったのかしら?」と…。



だからだったのかも知れない。
此の時の優紀は、自身の想いを自身の義母で在る 西門流 家元夫人に伝えるのだった。


「はい、其の事でしたら、お義母様にご相談が有るんですが、宜しかったでしょうか?」と…。


其処で、此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、自身の首を傾げたく成る程に驚愕顔に成って居たのだ。


何故なら…。
優紀からのそんな返答の言葉は、此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人自身、思っても視なかった言葉だっただけに怪訝そうにして居たから…だったのだ。


だが、其れでも、此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、自身の義娘と成った 優紀に訊き始めるのだった。


「其れって、如何言う意味かしら?」と…。


其処で、此の時の優紀は、総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人に何の躊躇いも無く話しし始めるのだった。


「はい、実は、お義母様へのご相談と言うのは、優一郎が履く其の『七五三』の『袴』につ
 いて…何ですけど…。
 優一郎は、今年、初めて『初釜』の席に出席させて頂きました。
 其処で…何ですけど…。
 優一郎が履く其の『七五三』の『袴』を、初めての『初釜』の席での其の記念すべき
 『袴』で『七五三』の日を迎えるのは如何(いかが)でしょうか?」と…。



だからだったのだろう。
より一層、驚愕顏に成ったのは総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人…だったのだ。


“まさか、そんな申し出を優紀さんの口から聞く事に成るだ何て…。”と…。


だが、此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、更に、思って居たのだった。


“優紀さんからどんなにお願いされても、当然、其れは出来無い事を、此処は、ビシッと、
 優紀さんに言って置かなくっちゃね。”と…。


勿論、そんな風に思って居た総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、ビシッと、優紀に伝えるのだった。


「優紀さん…其れは、難しいお願いね。
 『初釜』の席で履く『袴』と『七五三』の日に履く『袴』とでは随分違いが有るのよ。
 例え、優紀さんからの申し出…だったとしても、其の申し出は却下し無くては成らないわ
 ね。
 申し訳無いんだけど…。」と…。



実の事を言うと、自身の義母と成った 西門流 家元夫人からのそんな話しを聞いた此の時の優紀自身、残念で成らなかったのだ。


何故なら…。
初めての『初釜』の席での自身の息子で在る 優一郎の凛々しい姿を見た時の優紀は、実は、嬉しかったのだ。


“まだ、4歳なのに、『袴』を履いた優一郎が凛々しく見えるわ。”と…。


そうなのだった。
実は、優紀自身、まだ、4歳にも関わらず、初めての『初釜』の席でも動じずに、しかも、緊張して居る様子も無く、そんな風に凛々しく成長して行く自身の息子で在る 優一郎を誇りに思うと同時に、嬉しくも有ったのだ。


という訳で、自身の息子で在る 優一郎に対して、そんな風に感動して居る優紀は、母親として、そんな風に考えたからこそ、自身の義母と成った 西門流 家元夫人にそう申し出たのかも知れない。


だからこそ、優紀自身、母親として、初めての『初釜』の席と同じ様に、初めての『七五三』の日にも、其の初めての『初釜』の時の『袴』を履いて出席して欲しかったのだ。


だが、そんな優紀の思いは、総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人にとってして視れば、無謀だと言わずには居られなかったのだ。


何故なら…。
総二郎&優紀の息子で在る 優一郎が初めての『初釜』の席の際に履いた『袴』は、(着物は白地に)濃紺色の無地の『袴』…だったのだ。


云わば…。
総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人にとってして視れば、“(優一郎が『七五三』の日に履く『袴』は)優一郎が『初釜』の席で履いた『袴』だと地味過ぎるわ。”と、嫌味でも何でも無く、そう考える程…だったのだ。



勿論、其れだけではなかったのだ。
優一郎が『初釜』の席で履いた『袴』の時と違って、優一郎が『七五三』の日に着付ける『羽織袴』とは、『着物』の上から『羽織』を羽織るのが通常なのだ。


其れに、『初釜』の席の際に履く『袴』は『無地袴』だが、『七五三』の日に履く『袴』は、『無地袴』寄りも最も格式が高いとされている『縞袴』の方が相応しいのだ。
勿論、其れだけでは無く、見た目、『無地袴』寄りも『縞袴』の方が映えるのだ。


と言う意味で言えば…。
『七五三』の日に履く『袴』は『縞袴』の方が相応しいと言えるのだ。


だが、優紀の母親としての想いを聞いた此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、優紀と同じ母親として考え直すのだった。


“でしたら、せめて、お着物だけは優紀さんの想いを通させて上げましょうか。”と…。


なので、此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、優紀に告げるのだった。


「『七五三』の日に履く『袴』と、『着物』の上から羽織る『羽織』は難しいかも知れない
 んだけど…。
 お着物だけは優一郎が『初釜』の席で着付けた白地のお着物で大丈夫よ。
 じゃあ、其れで良いわよね、優紀さん…。」と…。


其処で、優紀は、更に、自身の義母と成った 西門流 家元夫人に願い出るのだった。


「あの~、お義母様…ご配慮下さり有難う御座います。
 実は、ご配慮下さったので凄く言い難いのですが、もう一つだけご相談させて頂いても、
 宜しかったでしょうか?」と…。



実は、自身の義娘と成った 優紀からそんな風に訊ねられた此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、密かに、独り言ちる(ひとりごちる)のだった。


“まだ、有るの⁉
 一体、何なのかしら?”と…。


だが、其れでも、此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、自身の義娘と成った 優紀に訊き始めるのだった。


「私(わたくし)への相談って…。
 もしかし無くても、優一郎が『七五三』の日に履く『袴』について…よね?
 何かしら⁉」と…。


だからだったのだろう。
此の時の優紀は恐縮し乍らも、自身の義母と成った 西門流 家元夫人に相談し始めるのだった。


「はい、実は…。
 “総二郎さんが『七五三』を迎えた時の『羽織袴』はどんな感じだったのかぁ~。”と、思
 いまして…。
 もしも、まだ、(西門)邸にて『羽織袴』を保管されている様でしたら、私にも見せて頂
 けないでしょうか?」と…。



だからだったのかも知れない。
此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、漸く、自身の義娘と成った 優紀が言いたかった事の意味を理解したのだった。


“そう言う事…だったのね。”と…。


だからだったのだろう。
此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、自身の義娘と成った 優紀の想いに、快く、応じるのだった。


「ええ、構わないわよ。」と…。



そして、其の後の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、優紀にそう言い乍らも、西門家の使用人頭に伝えるのだった。


「優紀さんをお着物の保管室にお連れして頂戴!
 其処で、総二郎の『七五三』の時の『羽織袴』を見せて上げて頂戴!」と…。


だからだったのだ。
総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人から名指しされた西門家の使用人頭は、優紀を着物の保管室に誘導し、総二郎の『七五三』の時の『羽織袴』を見せるのだった。
勿論、其の後ろから総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人が、一緒に就いて来て居た事は言う迄も無いのだが…。



そして、総二郎の『七五三』の時の『羽織袴』を見る事が出来た此の時の優紀は、実は、かなり感動して居たのだ。


何故なら…。
余程、保管の仕方が良かったのか?
既に、総二郎の『七五三』の時からして視れば、優に25年以上は経っているで在ろう現代に於いても、色褪せる事も無く、変退色(=色焼けする事)も無く、また、黄ばみすら無く、其の当時のまま…だったのだ。


実の事を言うと、『着物』の保管の仕方を西門家の使用人頭に任せたままだった総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、総二郎の『七五三』の時の『羽織袴』を見る迄は、“染め直しが必要かも知れないわね。”と、密かに、独り言ちて(ひとりごちて)居たのだ。


だが、優に25年以上は経ったで在ろう現代の総二郎の『七五三』の時の『羽織袴』を見た此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、其の当時のままの『羽織袴』を見て、更に、独り言ちて(ひとりごちて)居たのだった。


“あの当時のままだわ。
 私(わたくし)は、(西門家の)使用人頭に感謝し無ければ成らないわね。
 其れに、此の(総二郎の)『羽織袴』を見ると、あの頃の総二郎の事を思い出すわね。
 優一郎が此の『羽織袴』を着付けたとしても、総二郎の頃の様に、きっと、様に成るでし
 ょうね!
 総二郎の此の『羽織袴』を着付けた優一郎を見て視たいわ。”と…。



そして、優紀もまた、色褪せる事も無く、変退色(=色焼け)する事も無く、また、黄ばみすら無い総二郎の『七五三』の時の『羽織袴』を見て、密かに、独り言ちて(ひとりごちて)居たのだった。


“全然、色褪せて無いし、変退色(=色焼け)する事も無いし、全く、黄ばんで無い。
 きっと、保存の仕方が良かったんだろうけど…。
 凄いとしか言い様が無い。
 もしも、総二郎さんが『七五三』を迎えた時の『羽織袴』を現在の優一郎が着付けたら、
 如何言う感じに成るんだろう?
 きっと、此の『羽織袴』を着付けた当時の総二郎さんは、幼いにも関わらず、誰もが振り
 返る位に様に成って居たんだろうなぁ~。
 きっと、総二郎さん同様に、総二郎さんと瓜二つの優一郎もまた、誰もが振り返る位に様
 に成るんだろうなぁ~。”と、嬉しそうに…。



だが、実は、此の時の優紀の頭の中では別の事も考えて居たのだった。


“総二郎さんが『七五三』を迎えた時に、此の『羽織袴』を着付けて居たのだから、優一郎 
 が此の『羽織袴』を着付けて居たら、きっと、総二郎さんは気付くよね!
 やっぱり、優一郎の『七五三』の時にも総二郎さんが『七五三』を迎えた時の『羽織袴』 
 を着付けて出席させ様!
 気が付いた総二郎さんは、きっと、喜んでくれると思うから…。
 総二郎さんへのサプライズよ!
 だからこそ、お義母様にはお許し頂かなくっちゃ!”と…。


其処で、此の時の優紀は、意を決したかの如く、自身の義母と成った 西門流 家元夫人に、三度、相談し始めるのだった。


「お義母様…もし宜しければ、総二郎さんが『七五三』を迎えられた時に着付けられたとい
 う此の『羽織袴』を優一郎に着付けさせて頂き、『七五三』に出席させて頂くとしたら、
 其れでも宜しかったでしょうか?」と…。


そして、其処迄言い切った此の時の優紀は、更に、言い始めるのだった。


「実の事を言いますと、優一郎が『七五三』に出席させて頂く『11月15日』と言えば、総二
 郎さんのお誕生日が近いですし…。
 其れに、総二郎さんへのサプライズにしたいんです。
 如何(いかが)でしょうか?」と…。



だからだったのだろう。
此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、自身の義娘と成った 優紀の想いを知り、更に、思うのだった。


“やっぱり、そう言う事…だったのね。
 じゃあ、総二郎の母親として、賛成するしか無いわよね。”と…。


だからだったのだ。
此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、自身の義娘と成った 優紀に言って除けるのだった。


「そう言う事でしたら、私(わたくし)には反対する理由は無いわ。
 でも、総二郎へのサプライズ…だったら、総二郎には言わない方が良いわよね。
 じゃあ、其のつもりで皆にも徹底させないといけないわね。」と…。


実は、此の時の総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人は、西門家の使用人頭に聞こえるかの様に、優紀に伝えて居たのだった。


だからだったのだろう。
其処で、優紀は、自身の義母と成った 西門流 家元夫人に即答するのだった。


「はい、宜しくお願い致します。
 優一郎には、“パパのお誕生日のプレゼントだから内緒にしてね!”と、教えて置きますの 
 で…。」と…。



そして、其の後の優紀は、自身の義母と成った 西門流 家元夫人から了承が得られた事で、総二郎が『七五三』を迎えた時に着付けてもらったと言う此の『羽織袴』を自身の息子で在る 優一郎に着付けて『七五三』に出席させるのだった。


勿論、此の事を知った時の優一郎は嬉しがるのだった。


何故なら…。
総二郎&優紀の息子で在る 優一郎は、自身の父親で在る 総二郎の事が大好き…だったからなのだ。


だからこそ、総二郎&優紀の息子で在る 優一郎にとってすれば、当然、言えた言葉…だったのだ。


「ぼく(僕)は、おとうさん(お父さん)とおなじ(同じ)『はおりはかま(羽織袴)』を
 きつけて(着付けて)もらって『しちごさん(七五三)』にしゅっせきできる(出席出来
 る)の!
 ぼく(僕)、すごくうれしい(凄く嬉しい)!」と…。



だからだったのかも知れない。
『羽織袴』を着付けた此の日(『11月15日』)の優一郎の姿は、母親としての優紀にとってすれば、一段と凛々しい姿…だった事は言う迄も無かったのだった。

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