tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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結婚出来ない男・しない女…<つかつく>  35.




実は、司とつくしの婚約発表の話しが、タマの下に入って来たのは、『X’mas』シーズンが到来した頃の事…だったのだ。
しかも、其の日は、婚約発表当日の朝の事…だったのだ。


そして、タマの下に、其の話しが入って来たのは、日本に帰国中だった椿と司姉弟の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓からの話しだった事は言うまでも無かったのだ。


実は、タマ自身、そう成る事を望んで居たので、其の話しを聞いた時のタマは、勿論、嬉しかった事は言うまでも無かったのだ。
だが、此の時のタマにとって、司とつくし本人から、婚約発表の話しを聞きたかったのだ。


実は、結局、其の後も、司とつくし本人から、そんな話しを聞く事は無かったのだ。
という寄りも、其の後の司は、つくしと一緒に、世田谷の道明寺邸に帰る事は無かったのだ。


だからだったのだろう。
此の時のタマは、そんな司が、不満で仕方無かったのだ。


“タマは、司坊っちゃんを、そんな風に、育てた覚えは無いんだが…ね。
 司坊っちゃんは、薄情者(もん)ださね。”と、自身の心の中で、愚痴るかの様に…。



そして、新年が明けた其の後の司とつくしは、新年早々、日本に帰国して帰って来て居た椿から、数日後、其の話しを聞いた事で、タマの下に向かうのだった。


云わば…。
其の後の司は、つくしと一緒に、世田谷の道明寺邸に帰って、司とつくしの婚約発表の話を、タマに話ししたのだった。
事後報告という意味で…。


だからだったのだろう。
此の時のタマは、司とつくしに愚痴るのだった。


「司坊っちゃんにしても、つくしにしても、薄情者(もん)ださね。
 タマに会いに来る事も出来無いのかね?
 タマは、司坊っちゃんを、そんな風に、育てた覚えは無いんだが…ね。」と…。


だからだったのだ。
此の時の司とつくしは、そんなタマに、それぞれ、謝るのみ…だったのだ。


「申し訳ねぇ。」
「御免なさい。」と…。


だからだったのだ。
其の後のつくしは、司との時間が合えば、出来るだけ、世田谷の道明寺邸に帰って、タマと会って居たのだ。


だが、司の希望は、つくしの為に、結婚後も、司とつくしが同棲して居るマンションに住む事…だったのだ。


なので、司とつくしの住まいは、新婚の間の暫くは、司とつくしが同棲して居るマンション…だったのだ。



そして、其の後の司とつくしの周りでは、結婚の話しがどんどん進み、結婚式の日取りの話しに迄、及んで居たのだ。


だからだったのだろう。
司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、忙しい中…。
日本に帰国して帰って来たのだ。


何故なら…。
つくしと会う為…だったのだ。


実は、つくし自身、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓とは、既に、会って居たのだが…。
司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保とは、まだ、会った事が無かったのだ。


“結婚式当日が、お互い、「初めまして…。」では話に成らない。”と、判断した司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保が、忙しい中では在ったのだが、其れでも、スケジュールを調整させて迄、日本に帰国して帰って来たという訳…だったのだ。


そして、初めて、つくしと会った司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、其の時に、思って居たのだった。


“取り敢えず、「初めまして…。」だけは免れた様だ。”と…。



そして、其の後の司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、司とつくしからの紹介に寄り、つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子夫妻 と つくしの弟で在る 進と会ったのだ。


実は、其れも、司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保からの要望で、実現した事…だったのだ。



実は、NYに戻って来た自身の妻で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓から、つくしの家族について、色々な話しを聞いて居た司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子夫妻 と つくしの弟で在る 進と会える事を、楽しみにして居たのだ。


だが、つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子夫妻 と つくしの弟で在る 進にとっては、実は、初めて見る司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保のオーラに圧倒されて居たのだ。
其れは、つくしもそうだったのだが…。


だからだったのだろう。
此の時のつくしだけでは無く、つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子夫妻 と つくしの弟で在る 進も受け答え位で、碌に、話しが進まなかったのだ。


云わば…。
会話が成立して居なかったと云えたのだ。
なので、仲介役かの様に、司が話しに加わって居た程…だったのだ。



そして、何とか、其の日を乗り切ったつくし と つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子夫妻 と つくしの弟で在る 進は、其の後、司から、報告されて居たのだ。


「私とつくしさんの結婚式が、1月31日の私の誕生日に決まりました。
 本来、私がNYに在中して居た当時、私の誕生日という事で、1月31日は、毎年、パーティ
 ーが執り行われて居ました。
 勿論、私自身、嫌々でしたが…。
 ですので、今年は、私とつくしさんの結婚式を執り行う話しに成った様です。
 実は、私とつくしさんの結婚式と言っても、披露宴は、会社絡みに成ります。
 迷惑をお掛けする事と成りますが、了承して貰えると有難いです。」と、付け加えて…。


だからだったのだろう。
此の時のつくし と つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子夫妻 と つくしの弟で在る 進は、驚愕顔に成って居たのだ。


だが、話しを覆す事も出来無い事を承知して居るつくし と つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子夫妻 と つくしの弟で在る 進は、“仕方無いだろう。”と、それぞれ、思って居た事で、了承するのだった。


そして、此の時のつくしは、司からの話しに寄り、司の誕生日が『1月31日』だという事を知ったのだった。



だが、実は、つくしの母親で在る 牧野千恵子は、本来、自身の娘で在る つくしの結婚式なので、話し合いの場に参加したかったのだ。


だが、新婦側の家族は、一切、話し合いの場に入る事が出来ず、どんどん、話しが進んで居た事に、実は、ショックを起こして居たのだ。


云う成れば…。
新婦側の家族は、度外視されて居たと云えたのだ。


だからだったのだろう。
此の時のつくしの母親で在る 牧野千恵子は、思って居たのだ。


“此れが、玉の輿に乗ると言う事なのかしら…ね?”と…。


だからだったのだ。
つくしの母親で在る 牧野千恵子は、新婦側の家族として、度外視された事を痛感するしか無かったのだった。



そして、其の後、「“挙式だけは、本人達だけでプランを立てても良い。”と、言う事に成った。」と、つくしから話しを聞いた此の時のつくしの母親で在る 牧野千恵子は、司とつくしの挙式の話し合いの場に入ろうとして居たのだが…。
自身の娘で在る つくしから拒まれて居たのだ。


何故、つくしが、自身の母親で在る 牧野千恵子からの要望を拒んだのかというと…。
此の時の司とつくしは、せめて、二人だけで、挙式のプランを立てたかったのだ。


だからこそ…。
此の時のつくしの母親で在る 牧野千恵子は、自身の娘で在る つくしから拒まれたという訳…だったのだ。



だからだったのかも知れない。
此の時のつくしの母親で在る 牧野千恵子は、実は、不貞腐れて居たのだ。


何故なら…。
最後の最後で、自身の夢が潰えた(ついえた)のだ。


だからだったのだ。
此の時のつくしの母親で在る 牧野千恵子にとって、ショックと云えば、ショック…だったのだ。


だからだったのだろう。
此の時のつくしの母親で在る 牧野千恵子は、思って居たのだ。


“こんな事なら、つくしを『玉の輿狙い』にさせなければ、良かったわ。”と…。



だが、其れでも、つくしの母親で在る 牧野千恵子にとって、自身の娘で在る つくしを、『玉の輿』に乗せて、嫁に出す事は、自身の夢でも在ったのだ。


だからだったのだ。
此の時のつくしの母親で在る 牧野千恵子は、思って居たのだ。


“今度は、つくしの子供に期待しましょ!”と…。


だからだったのかも知れない。
其の後、自身の母親で在る 牧野千恵子が、そんな事を考えて居る事を知ったつくしは、実は、呆れて居たのだ。


“ママは、何処迄行っても、懲りないわね。”と…。



という訳で、其の後の司とつくしは、司の誕生日で在る 『1月31日』に、結婚式(挙式)を挙げたのだった。


勿論、此の時の新婦 つくしからの『ブーケトス』は、滋に向けて…だったのだ。


其の時に投げられたつくしからの『ブーケトス』の前には、勿論、つくしからの一言も有ったのだ。


「滋さん…私からの幸せの御裾分け…。
 受け取って…!」と…。


だからだったのだ。
つくしからの『ブーケトス』を受け取った滋は、つくしに向けて、嬉し涙を流し乍ら、返答するのだった。


「つくし…。
 確かに、受け取ったから…。」と…。


そして、太陽の様な『滋』の明るさに負けないオレンジ色のフラワーアレンジメントの『フラワーブーケ』を観乍ら、此の時の滋は、独り言かの様に、呟いて居たのだった。


“つくし、有難う!
 つくし…絶対、幸せに成ってね!”と…。


そして、其の後の滋も、数年後、結婚した事は言うまでも無かったのだ。



という訳で、其の後の司とつくしは、他人(ひと)が羨む位に、幸せに成ったのだ。


何故なら…。
司の誕生日で在る 『1月31日』は、語呂合わせで、『愛妻家の日』と言われて居る日なのだ。


其の日に産まれた司は、誰もが、「司は、『愛妻家』だ。」と、認める程、『つくし』だけを大切にし、一生、『つくし』という女性だけを愛し続けたのだ。


なので、つくしの其の後の生涯は、「幸せだった。」と、言える程、つくしは、幸せな日々を過ごして居たのだった。



そして、此れ迄、『結婚出来ない男・しない女』だった司とつくしは、結婚した事で、『結婚出来た男・する女』に成ったのだった。




fin

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