母の日参観 & 父の日参観【取り戻したい…<総優>】…<F4&T3&静> 番外編
2023年5月14日…母の日
2023年6月18日…父の日
<此の二次小説『母の日参観 & 父の日参観【取り戻したい…<総優>】…<F4&T3&
静> 番外編』に出て来る参観日についてのお詫び文です。
実は、先頃の参観日の名称は、『母の日参観 & 父の日参観』では無く、『日曜参観』
にて名称が変わっていると伺いました。
ですが、此処は『二次小説の世界』…。
『母の日 & 父の日』の『二次小説ネタ』と、言う事も有り、態と、『母の日参観 &
父の日参観』と致しました。
了承の程、宜しくお願い致します。>
【『カナダ旅行~GW~【取り戻したい…<総優>】…<F4&T3&静> 番外編 ②』と
同じ年の続きのお話し】
F4&T3&静のそれぞれの夫婦の間に誕生した息子達で在る 『F4Jr.』が英徳学園 幼稚舎に入舎した年の5月の第2日曜日で在る 母の日 & 6月の第3日曜日で在る 父の日のそれぞれの日が遣って来たのだ。
実は、英徳学園 幼稚舎では、毎年、入舎したばかりの年少組の『母の日参観 & 父の日参観』の日は、幼稚舎に通うそれぞれの舎児(=園児)の両親の似顔絵を描く事が参観のテーマ…だったのだ。
だからこそ、此の日ばかりは、普段、忙しい親でも、毎年、自身達の息子 や 娘の為に、スケジュールの調整を行い、参観日に出席する事が常…だったのだ。
だからだったのだ。
普段、忙しいF4&T3&静も、また、自身達の息子の為に、ご多分に漏れず、此の日に合わせてスケジュール調整を行い、仕事をセーブして居たのだ。
しかも、英徳学園 幼稚舎に入舎したばかりの『F4Jr.』達にとっては、初めての『母の日参観 & 父の日参観』が英徳学園 幼稚舎にて執り行われる事と成ったのだ。
勿論の事、『F4Jr.』達の両親で在る F4&T3&静にとっても、また、英徳学園 幼稚舎にて執り行われる『母の日参観 & 父の日参観』は、初めての幼稚舎での行事事…だったのだ。
だからこそ、普段、忙しい筈のF4&T3&静も、自身達の息子の為に、スケジュールを調整させて迄、初めての『母の日参観 & 父の日参観』に参加して居たのだ。
そして、初めての『母の日参観 & 父の日参観』に成った日に、自身達の息子について、色々な事が分かったのだ。
実は、司の容姿にも性格にも瓜二つの翼は、元々、何事に対しても呑み込みは早いのだが、落ち着きが無い事が難点…だったのだ。
そして、類の容姿にも性格にも瓜二つの健は、自身の父親で在る 類同様に、健の見た目は王子様なのだが、健の性格は策士…其のもの…だったのだ。
そして、総二郎の容姿に瓜二つの優一郎は、実は、性格に関してだけは、優紀…其のもの…だったのだ。
云わば…。
総二郎の容姿に瓜二つの見た目…成らば、本来、優一郎の将来を悲観視される処では在るのだが、性格に関してだけは優紀に似た事で、まだ、4歳に成らない優一郎だったのだが、既に、落ち着き払って居たのだった。
そして、あきらの容姿にも性格にも瓜二つのやすしは、自身の父親で在る あきら同様に、『F4Jr.』の要で在り、将来的には常識人と成って行くのだった。
だからだったのだろう。
其の後の『F4Jr.』達は、其の内、自身達の父親で在る 『F4』同様に、それぞれの個性を発揮し始めるのだった。
実は、其れは、英徳学園 幼稚舎に於いても同じで、『F4Jr.』達は、母の日 & 父の日のそれぞれの参観日に於いても、それぞれの個性を発揮し始めるのだった。
そして、先にも述べた通り、英徳学園 幼稚舎に入舎したばかりの『F4Jr.』達の初めての『母の日参観 & 父の日参観』の参観内容(テーマ)は、自身の両親の『似顔絵を描く』という事なのだ。
云わば…。
『母の日参観』の日には、舎児(=園児)それぞれの母親の似顔絵を描き、『父の日参観』の日には、舎児(=園児)それぞれの父親の似顔絵を描く事が、英徳学園 幼稚舎に於いての毎年の参観内容(テーマ)…だったのだ。
だからこそ、『F4Jr.』達は、自身達の父親で在る 『F4』同様に、それぞれの個性を発揮し始めたという訳…だったのだ。
元々、呑み込みが早い司の息子で在る 翼なので、似顔絵を描き始めた頃の翼は、似顔絵を描き始めると、其れは其れは楽しそうに似顔絵を描く事が出来るのだ。
だが、司の息子で在る 翼の難点なのが、其の内、飽きる事も早く、次第に落ち着きを失くし始めて、似顔絵…処では無く成るのが翼でも在ったのだ。
云わば…。
次第に、翼の興味は違う所に逸れ始めるのだった。
そして、司の息子で在る そんな翼に比べて、総二郎の息子で在る 優一郎は、ゆっくりでは在るのだが、落ち着いて物事を取り組める事が出来るのだ。
だからだったのだろう。
自身の両親で在る 総二郎 と 優紀のそれぞれの顔の表情等をジーっと観察する事が出来、落ち着いて自身の両親の似顔絵を描く事が出来るのだ。
一件、遣る事が遅そう(トロそう)に見える優一郎では在ったのだが、誰よりも根気強く、最後迄、落ち着いて上手に描く事が出来るのも、また、総二郎の息子で在る 優一郎…だったのだ。
正しく、総二郎の息子で在る 優一郎は、将来の茶人としても、相応しい逸材と云えたのだった。
そして、類の息子で在る 健は、自身の父親で在る 類同様に、策士故、“めんどうくさい(面倒臭い)なぁ~。”と、類の口癖かの様に、そんな風に思い乍らも、何時(いつ)も、何時(いつ)の間にか?
難局を上手く乗り切れる事が出来るのが類の息子で在る 健…だったのだ。
其の為、何時(いつ)の間にか?
類の息子で在る 健は、自身の両親で在る 類 と 静の似顔絵を描き終えて居たという訳…だったのだ。
そんな類の息子で在る 健を傍で見て居たT3は、例え、其れが何時(いつ)もの健で在ったとしても、“何時(いつ)の間に…⁉”と、そんな風に思わずには居られず、類の息子で在る 健を不思議そうに見て居たのだ。
実は、健の母親で在る 静でさえも、T3と同じ事を思うのだから、尚更の事かも知れない。
そして、あきらの息子で在る やすしは、自身の父親で在る あきら同様に、自身の幼馴染で親友で在る 翼 や 健 や 優一郎の様子を気にし乍らも、ちゃんと、自身の両親で在る あきら と 桜子の顔の特徴を掴んで似顔絵を描く事が出来るのだ。
云わば…。
あきらの息子で在る やすしは、注意力に長けて居ると云えたのだ。
だが、其れだけでは無く、あきらの息子で在る やすしは、お節介と言うべきなのか?
仲間思いと言うべきなのか?
自身の両親で在る あきら と 桜子の『仲間思い』同様に、やはり、自身の幼馴染で親友で在る 翼 や 健 や 優一郎の様子が気に成るらしく、自身の似顔絵が二の次に成る位に心配の様子…だったのだ。
だが、自身の両親で在る あきら と 桜子のそれぞれの似顔絵は、ちゃんと、描き切る事が出来るのも、また、あきらの息子で在る やすしらしいと云えば、やすしらしいのだ。
其れがあきらの息子で在る やすしというべきなのだろう。
実は、其処は、やすしの母親で在る 桜子も、そんな自身の息子で在る やすしの様子に目を輝かせて見て居る位…だったのだ。
実は、やすしの母親で在る 桜子は、“やすしは、あきらさんと同じだわ。”と、そんな自身の息子の姿を嬉しくも在り、誇らしくも在ったのだった。
そして、其の次の主役は、まだ、1歳児で在る F4&T3&静のそれぞれの息子・娘達に目が向く事に成るのだろう。
fin
<此の二次小説『母の日参観 & 父の日参観【取り戻したい…<総優>】…<F4&T3&
静> 番外編』は、短めにて、終了して折ります。
了承の程、宜しくお願い致します。>