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花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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土用の丑の日【取り戻したい】…<総優>  番外編




2023年7月30日…土用の丑の日
(『土用』とは…。
 季節の変わり目を表す言葉だそうです。
 立春・立夏・立秋・立冬の直前の約18日間の期間を示して居るそうです。
 『丑の日』とは…。
 勿論の『十二支の丑』から来て居ます。
 此処で言う『丑の日』とは、年単位では無く、昔の暦で日にち(12日周期)を『十二支』
 で数えて居たとか…。
 つまり、『土用の丑の日』とは、『土用』の期間に訪れる『丑の日』を示して居るそうで
 す。
 と言う事は、本来、夏だけでは無く、『土用の丑の日』とは、『春夏秋冬』在るという事
 と成ります。)



【『海の日【取り戻したい…<総優>】…<F4&T4&静>  番外編』の続きの西門家の
 夕食の一時(ひととき)】


此の年の夏も、『土用の丑の日』が遣って来たのだ。
土用の丑の日』とは、『土用』の期間に訪れる『丑の日』を示し、此の年の夏の『土用の丑の日』は、7月30日…だったのだ。


勿論、西門家にとっても、夏の『土用の丑の日』は、御多分に洩れず、『鰻』を食べる習慣が在ったのだ。


だからだったのだ。
夏の『土用の丑の日』の西門家の大人達の夕食は、毎年、『鰻重(うなじゅう)』…だったのだ。



其処で、優一郎が不思議そうな顔付きをして、西門家の大人達の食卓の前に上がっているそんな『鰻重(うなじゅう)』を見て居たのだ。
勿論、優一郎の妹で在る 光紀(みつき)は、まだ1歳故、分かっては居なかったのだが…。


だからだったのだろう。
優一郎は、不思議そうな顔付きのまま、自身の父親で在る 総二郎に訊くのだった。


「おとうさんたち(お父さん達)おとな(大人)は、どうして(如何して)、ぼく(僕)と
 ちがう(違う)しょくじ(食事)なの?」と…。


其処で、総二郎は、自身の息子で在る 優一郎に言って除けるのだった。


「そうだな。
 お父さん達 大人 と 優一郎とでは食事が違うな。
 実は、今日は、『土用の丑の日』と言って、日本には、昔から『鰻』を食べる風習
 が在るんだよ。
 だから、今日のお父さん達 大人は、『鰻重(うなじゅう)』を食べてるんだ。
 でも、優一郎は、まだ小さい子供だから、『鰻重(うなじゅう)』を食べる事は出来無い
 んだ。
 まだ、優一郎の年齢だと、『鰻』を食べるには危険らしい。
 優一郎が初等部に入ったら、お父さん達 大人と一緒に食べ様な!」と…。



実は、此の時の優一郎は、自身の父親で在る 総二郎からそんな話しを聞いて、ショックを起こして居たのだ。


“こども(子供)がたべて(食べて)はいけないたべもの(食べ物)がある(在る)だなん(何て)…。”と…。


だからだったのかも知れない。
優一郎は、自身の父親で在る 総二郎からそんな話しを聞いて、ショックを引き起こし乍らも、初めて、知ったのだ。
子供が食べてはいけない食べ物が在ると言う事を…。



実の事を言うと、此れ迄の優一郎は物心が付いた頃から、何時(いつ)も、西門家の大人達と同じ食事を摂って来たのだ。


其処で、此の時の優一郎は思う事が有ったのだろう。
西門家の大人達が、挙って、美味しそうに食して居るそんな『鰻重(うなじゅう)』という食べ物を食べて視たく成ったのだ。


だからだったのだろう。
此の時の優一郎は、自身の父親で在る 総二郎にダメ元で聞いて視る事にしたのだった。


「ねぇ~、おとうさん(お父さん)…。
 ぼく(僕)も、おとうさん(お父さん)がたべてる(食べてる)その(其の)『うなじゅ
 う(鰻重)』をたべて(食べて)みたい(視たい)なぁ~⁉」と、懇願するかの様に…。


其処で、困ったのは、優一郎の両親で在る 総二郎 と 優紀…だったのだ。


何故なら…。
子供が『鰻』を食べた事で、稀に、アレルギーを引き起こす事も有ると言われているのだ。



実は、本来なら、『鰻重(うなじゅう)』という食べ物を食する時は、子供と一緒に食事を摂らない方が良いのかも知れない。


だが、現在の西門家の食卓は、大人に時間が有る時は出来るだけ子供達と一緒に夕食を摂る様にして来たのだ。


何故なら…。
其れが優紀の子供達への思い…だったのだ。


実は、優紀が西門家に嫁いで来る迄の『西門家』は冷え切って居て、『家族』と、言うよりも、『他人』と、言った方が近い状況…だったのだ。


そんな状況の『西門家』を見た時の優紀は信じられなかったのだ。


何故なら…。
優紀自身、元々、一般家庭出身の娘…だったのだから…。


【家族皆で食卓を囲む。】
一般家庭で育った優紀にとって、そんな当たり前だと思って居た事が、実は、『西門家』には無かった事…だったのだ。


だからだったのだろう。
優紀自身、そんな『西門家』を変えたかったのかも知れない。



だが、優紀自身が変えたかった『西門家』…だったにも関わらず、そんな優紀の考えた事が、今回、裏目に出てしまったのだ。


だからだったのだ。
此の時の優紀の顔色は、蒼い顔色…だったのだ。
『顔面蒼白』と、言った方が良いのかも知れない状況…だったのだ。


だからだったのだろう。
そんな優紀を心配する総二郎…だった事は言うまでも無い。
勿論、其れは、優紀の息子で在る 優一郎も、また、同じ…だったのだ。


だからだったのだ。
そんな自身の母親で在る 優紀の顔色を見た時の優一郎の顔色も、また、『顔面蒼白』…だったのだ。



そして、優一郎自身も『顔面蒼白』に成って居たのだが、其れよりも、そんな自身の母親で在る 優紀の顔色を見た優一郎は後悔して居たのだ。


“いって(言って)はいけないこと(事)をいって(言って)しまった。”と…。


という寄りも、其処で、初めて、優一郎は悟ったのだ。


“こども(子供)にはたべて(食べて)はいけないたべもの(食べ物)がある(在る)ん
 だ。”と、言う事を…。


だからだったのかも知れない。
其れからの優一郎は、『鰻重(うなじゅう)』を食べたいという事に関して、無理強いし無く成ったのだ。


其処で、そんな自身の息子で在る 優一郎を見た時の総二郎は、実は、ホッとして居たのだ。


だが、だからこそ、そんな自身の息子で在る 優一郎の顔を見て居た時の優紀は申し訳無い気持ちで一杯…だったのだ。



だからだったのかも知れない。
其の後の『西門家』の教訓として、『土用の丑の日』だけは、子供達とは一緒に食事を摂らない様にし様と…。


若しくは、如何しても、子供達と一緒に食事を摂らなければ成らない時は、取り敢えず、子供達と一緒の食事を摂って置いて、子供達が寝静まった後に、『鰻重(うなじゅう)』を食する事にし様と…。



PS.


そして、其の後、優一郎 と 光紀(みつき)が、それぞれ、英徳学園 初等部に入った頃…。
実の事を言うと、初めて、『鰻重(うなじゅう)』を食した時の優一郎 と 光紀(みつき)のそれぞれの感想は違って居たのだ。


優一郎にとっては、漸く、食する事が出来た『鰻重(うなじゅう)』…故。
「美味しい!、美味しい!」と、言い乍ら、黙々と、食して居たのだ。


だが、光紀(みつき)は、そうでは無かった様だ。
其の時の光紀(みつき)は、先ず、恐る恐る、一口、口に入れた時の事…だった。
寧ろ、「もう、いらない(要らない)」と、言ったまま、其の後、口に入れる事は無かったのだ。


言う成れば、熱望して居た『鰻重(うなじゅう)』に、漸く、有り付けた優一郎 と 元々、『鰻重(うなじゅう)』に対して、別に何とも思って居なかった光紀(みつき)…。
美味しいと思う度合いが、初めから違って居ても仕方無かったのだろう。
そして、光紀(みつき)自身、きっと、『鰻重(うなじゅう)』という食べ物自体を美味しいと思えなかった事は事実…だったのだろう。



実は、そんな優一郎 と 光紀(みつき)の様子を見て来た優一郎 と 光紀(みつき)の祖父母で在る 家元 と 家元夫人…。
そして、優一郎 と 光紀(みつき)の両親で在る 総二郎 と 優紀…。
思う事は違って居たかも知れないが、そんな優一郎 と 光紀(みつき)の様子を微笑ましく見て来た事には違い無かったのだ。



そして、其の後の優一郎の大好物は、夏の『土用の丑の日』に家族皆で食する『鰻重(うなじゅう)』に成った事は言うまでも無い。


だが、そんな自身の兄で在る 優一郎をシラーっとした目で、何時(いつ)も見て居たのは光紀(みつき)…だった事も、また、言うまでも無かったのだった。



fin



<此の二次小説『土用の丑の日【取り戻したい】…<総優>  番外編』は、短めにて、終
 了して折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>

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