tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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翼の七五三【慕情そして恋情】…<つかつく>  番外編



11月15日…七五三



<此の二次小説『翼の七五三【慕情そして恋情】…<つかつく>  番外編』は、司とつく
 しとの間に授かった翼の『七五三』という二次小説ネタを兼ねて、綴って折ります。
 本来の『七五三』は、男の子が3歳・5歳、女の子が3歳・7歳の成長をお祝いする為の
 日本古来の行事だそうです。
 ですが、私共の地域では、男の子が5歳、女の子が3歳・7歳に成った時にお祝いします。
 ですので、翼の『七五三』も、5歳設定で、綴って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



翼が、5歳に成った頃と云えば…つくしは、国立大学に通う大学4年生…だったのだ。


実は、つくし達 牧野家の家族は、司がつくしの記憶を失ったまま、NYに渡米した事で、つくしは、英徳学園を自主退学して、高校2年生で英徳学園を辞めて居たのだ。


そして、其の当時に住んで居たアパートを引き払い、東京郊外の或る地域に住まいを移して居たのだ。
勿論、引っ越しした先の牧野家の住まいも、また、アパートだったのだ。


そして、其の後のつくしは、高校に通わず、翼を産む迄、大検取得の為の勉強をしつつ、バイトを掛け持ちし乍ら、牧野家の生計を支えても居たのだ。
勿論、翼を出産する為の資金も、捻出し無ければ成らなかったのだ。


だからこそ…。
此の当時のつくしは、翼を身籠って居る身体にも関わらず、其れでも、必死でバイトに明け暮れて居たのだ。
なので、翼を出産後のつくしは、1ケ月で、また、大検取得の為の勉強をしつつ、バイト生活に戻って居たのだ。


だからだったのだ。
此の当時のつくしは、何時(いつ)も、思って居たのだ。


“英徳(学園)に居た頃に比べれば、今の生活は、何て事無い。”と…。


だからこそ…。
此の当時のつくしは、そんな生活の中でも、頑張って来られたのだろう。



そして、其の後、19歳の春に、国立大学に合格して入学する事に成ったつくしは、翼を保育所に預け乍ら、昼間は大学に、夜は進学塾の講師のバイト等をし乍ら、牧野家の生計を立てて来たのだ。


そして、国立大学 4年生に成った時、現役で、司法試験に合格して、国立大学を卒業後は、女性専門弁護士事務所に在籍し乍ら、司法修習生と成り、其の翌年には弁護士見習いと成り、また、其の翌年には、弁護士として独り立ちして居たのだ。


そして、其の後のつくしは、メキメキと、弁護士としての実績を積み、実力を発揮して居たのだ。
そして、翼が小学生(高学年)に成る頃には、つくしが在籍して居た女性専門弁護士事務所のエースとして、活躍して居たのだ。



と言う事は、翼が5歳に成った頃の牧野家のエンゲル係数は、かなり、高いモノと云えたのだ。
所謂、牧野家の生活水準は、かなり、低いモノだったのだ。


だからだったのだ。
牧野家としては、本来なら、「翼が5歳に成ったから…。」と、言って、翼の『七五三』のお祝いをする為に、浮かれて居られない状況だと、云えたのだ。


だが、つくしは、翼が5歳に成った事を記念して、翼の『七五三』を祝って上げたかった事も、また、事実だったのだ。
其処で、つくしは、自身の両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子に、相談するのだった。


「あのさぁ~、相談…何だけど…ね。
 今年は、翼が5歳に成るの。
 翼が5歳に成った事を記念して、翼の『七五三』を祝って上げたいんだけど…。
 無理かな?」と…。


其処で、実は、つくしの両親で在る 牧野晴夫 と 牧野千恵子も、其の事を考えて居たので、ママが代表かの様に、正直に、つくしに話しし始めるのだった。


「実は…ね。
 パパとママも、翼の『七五三』を祝って上げたかったの。
 でも、つくしが、“勿体無い。”とか言って、“翼のお祝いをして上げないんじゃ無い
 か?”と、パパとママは、密かに、そう思ったから…ね。
 パパとママは、つくしに言い出せなかったの。
 でも、『七五三』のお祝いと言うのは、男の子にとって、一生に一度の事でしょ!
 男の子にとっての『七五三』のお祝いというのは、一度切りでしょ!
 だから…ね。
 お祝いして上げましょ!」と…。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、“有難う!”と、言い乍ら、大粒の涙を流して居たのだ。



だが、そうは言っても、此の当時のつくしにとって、気に成るのは、やはり、お金の事だったのだ。


子供専門の写真館に入った此の時のつくし と 翼は、目の前の七五三用 袴 や 七五三用 晴れ着の目映さに、実は、遣られて居たのだ。
此の時のつくし と 翼にとって、普段見た事が無い様な光景だったので、致し方無いと云えたのだろう。


何故なら…。
つくしは、成人式に出席する事も無かったし、振袖を着付けて貰って写真を撮る事も無かったのだ。
其の当時のつくしは、子育てと勉学とバイトに明け暮れた毎日だったので、致し方無かったと云えたのだ。


なので、此の当時のつくしは、軍資金内で収める為に、一番安い袴を翼に着付けて貰う事にしたのだった。


だが、其れでも、司の容姿に似た翼は、一番安い袴でも、見事に、着こなして居たのだ。
周りの女性スタッフ達が、見惚れる位に…。


そして、「其の袴をレンタルして、神社にお参りする事も出来ますよ。」と、聞いたつくしは、迷い無く、翼に其の袴を着付けて貰って、11月15日に神社に連れて行ったのだった。


其の時の翼は、満面の笑みで、喜んで居たのだ。


何故なら…。
お参りした神社から、金太郎飴(千歳飴)を貰ったから…だったのだ。


其の時の翼の様子は、此れ迄のつくしが観た事の無い様な翼の興奮した姿…だったのだ。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、そんな翼を観て居て、思って居たのだった。


“良かった。
 翼の5歳のお祝いをして上げられて…。”と…。



そして、其の後の司がつくしの記憶を取り戻し事で一緒に住む様に成り、司とつくしが結婚した後の事だったのだ。


司がシャワーを浴びて居る間に、つくしは、其の当時の翼のアルバムを出して来て、アルバムの中の翼の写真 と 記念写真を観て居たのだ。
勿論、其の当時の事を思い出したかの様に、涙を流し乍ら…。


何故なら…。
其の日は、11月15日だったのだ。


云う成れば…。
世間では、『七五三』をお祝いする日だったのだ。



其処に、司がシャワー室から出て来たのだ。
そして、涙を流し乍ら、アルバムの中の翼の写真 や 記念写真を観て居たつくしに、司は近付いたのだ。


其処で、此の時の司は、ソファに座って居るつくしの背後に回って、つくしを背後から抱き締め乍ら、つくしが観て居るアルバムの中の翼の写真 や 記念写真を覗き込んで、つくしと一緒に見て居たのだ。
そして、つくしに、声を掛けたのだ。


「つくし…如何した?
 何、泣いてんだぁ~⁉」と…。


其処で、司は、続け様に、つくしに訊くのだった。


「此の写真は…⁉
 翼の写真か?」と…。


なので、つくしは、司に話しし始めるのだった。


「うん、そう。
 世間では、此の時期に成ると、『七五三』と、言って…ね。
 男の子が5歳、女の子が3歳と7歳に成った事を記念して、子供の成長をお祝いする行事が
 在るの。
 此の写真は、翼が5歳に成った年の『七五三』をお祝いした時の写真なの。」と…。


だからだったのだ。
司は、其の翼の『七五三』の写真を見て、つくしの肩に顔を埋めて、泣き始めたのだ。


「ご免な、ご免」と、言い乍ら…。



其の当時の司は、つくしの記憶を、未だ、取り戻せて居ない頃で、まだ、司がNYに在住して居た頃の事だったので、司が其の当時の事を知らなくても、当然だったのだ。
だが、此の時の司は、其の写真の中に、自分自身が居ない事を、後悔し始めて居たのだった。


だからこそ…。
「ご免な、ご免」と、言えたのだろう。


だが、つくしからして視れば、“仕方無い事…。”と、割り切っても居たのだ。


だからこそ…。
司から謝って来る声を聞いた此の時のつくしは、首を捻って居たのだ。


“司は、何の事を謝って居るのだろう⁉”と…。



だが、実は、此の時の司が観て居た所は、別の所に有ったのだ。


だからこそ…。
此の時の司は、つくしに言えた言葉だったのだろう。


「俺が此の写真の中には居ねぇ。
 其れは、仕方ねぇんだと言う事を、俺にも分かってる。
 けど…よ。
 俺は、お前と翼を、相当、苦しめてたんだな。
 其の当時のお前は、こんな袴しか、翼には着せて遣れなかったって話しだろ?
 翼が着てる其の袴は、相当、安そうな袴じゃねぇのか?
 こんな袴を着て、お祝いって…。
 そんなに、お前と翼の生活はきつかったんか?」と、更に、涙を流し乍ら…。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、そう訊いて来る司に、さらりと、話しし始めるのだった。


「まぁ~、あの当時の牧野家の生活は、相当、酷かったかな。
 勿論、其の当時の牧野家には、お金は無かったかも知れないけど、其れでも、家族仲は良
 かったし、私は、きつい何て、一度も思った事無かったよ。
 翼も、良い息子(こ)に育ってくれたし、其れ成りに幸せだったよ。」と…。



其処で、司は、つくしの肩に顔を埋め乍らも、心の中で、誓って居たのだ。


“もし、今後、翼の弟 or 妹が産まれて来たなら、今度は、ぜってぇに、俺が、其のガキの
 『七五』の祝いをして遣るから…な。
 勿論、誰もが羨む様な立派な『七五三』の祝いをして遣る。
 で、ぜってぇに、其のガキの『七五三』の写真の中に、俺も、写って遣る。”と…。


だが、本来の司は、写真に写る事を嫌って居た筈…なのだ。
だからこそ、司がそう思ったとした成らば…。
其れは、きっと、つくしへの焼きもちから、そう思ったのだろう。


“つくしは、良いよな。
 ガキだった頃の翼と一緒に写れて…よ。”と…。


そして、まだ、何時(いつ)、産まれて来るかも分からない自身とつくしとの未来の子供の今後について、此の時の司は、既に、思いを馳せて居たのだった。



fin

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