記念日~告白の日&キスの日&プロポーズの日~…<総優> 2.
5月9日…『告白の日』
(ユニリーバ(株)が展開する男性用化粧品のブランド『AXE(アックス)』が制定)
5月23日…『キスの日』
(『5月23日』が『キスの日』と、制定された理由は、1946年(昭和21年)の此の日、日本
で初めてキスシーンを撮影した映画が封切りされた事に由来。
何時(いつ)、誰が何の為に制定されたかは不明との事)
2023年6月4日(毎年6月の第1日曜日)…『プロポーズの日』
(ヨーロッパでは、【6月に結婚する花嫁は幸せに成れる】と、言う言い伝えが有り、日本
でも【6月の花嫁(ジューンブライド)】という言葉が広く知れ渡って居ます。
1994年(平成6年)に、一般社団法人・全日本ブライダル協会が制定)
つくし と 優紀が大学生の間、ずーっと、お茶のお稽古は続いて居たのだ。
実は、西門流 家元夫人は、此れ迄、傍で、優紀の為人(ひととなり)を見て来て、そんな優紀の事を、すっかり、気に入ってしまって居たのだ。
だからだったのだ。
そんな西門流 家元夫人は、或る時から、“そうで在ったら、嬉しいのだけど…。”と、誰もが想像の域を超える様な或る事を考える様に成って居たのだ。
其の或る事とは…。
其の或る事を実現する為に、先ずは、お茶のお稽古が終了したそんな一時(ひととき)に、優紀に訊き始める西門流 家元夫人…だったのだ。
実は、其の日は、優紀が大学4年生に成って直ぐの頃の事…だったのだ。
其れに、此の日のつくしは、自身の婚約者の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓が日本に帰国して帰って居る事からお稽古をお休みして居たのだ。
だからこそ、此の日の西門流 家元夫人は、こんな話しを優紀に切り出そうと考えたのかも知れない。
「優紀さんにお訊きしたい事が有ったのよ。」と、口火を切るかの様に…。
其処で、優紀は、“家元夫人が私に訊きたい事って、どんな話し…何だろう?”と、不思議に思い乍らも、西門流 家元夫人に了承の意を伝えるのだった。
「はい、如何言った事でしょうか?」と…。
だからだったのだろう。
此の時の西門流 家元夫人は、優紀の真意を確かめたい気持ちから、ジーっと、優紀の顔を見詰め乍らも、更に、訊き始めるのだった。
「ええ、実は…ね。
優紀さんは、今年から(大学)4年生に成るのよね⁉
“来春、優紀さんが大学を卒業したら、其の後は如何し様とお考えなのかしら?”と、思っ
て…。」と…。
其処で、此の時の優紀は、“何故、家元夫人は、そんな事を私に訊いて来るんだろう?”と、更に、不思議に思いつつ、家元夫人からのそんな質問に返答するのだった。
「来春、卒業出来ましたら、勿論、就職したいと考えて居ます。
其の為に、今年は、就職活動を頑張りたいと思って居ます。
ですが、お茶のお稽古は続けてさせて頂きたいと、思って居ますので、“ご迷惑をお掛け
し無い様に…。”と、考えて居ます。」と…。
実は、此の時の優紀は、西門流 家元夫人にそんな風に言い乍らも思い至った事が有ったのだ。
“今年の4月から、私が(大学)4年生に進級した事を家元夫人もご存知な訳だし…。
だからこそ、私が就職活動をするだろうと思って、今年はお稽古を如何して行くのか?
家元夫人は気を遣って下さり、私に相談方々、きっと、訊いて下さったんだわ。”と…。
だが、此の時の西門流 家元夫人は、優紀とは違う思惑を持って優紀に訊いて視たのだった。
だからだったのだ。
案の定、此の時の西門流 家元夫人は、更に、優紀に訊き始めるのだった。
「ねぇ~、優紀さん…。
今直ぐじゃ無くても良いのよ。
勿論、優紀さんが大学を卒業してからでも構わないわ。
私(わたくし)の内弟子に成らないかしら?」と…。
「………」
勿論、此の時点に於いての優紀にとってしても、思っても考えても視なかった事だけに、此の時の西門流 家元夫人からのそんな突拍子も無い言い分自体、唐突過ぎて、面食らってしまって居たのだった。
だからだったのだろう。
此の時の優紀自身、直ぐには何も言い出せずに居たのだった。
其処で、此の時の西門流 家元夫人は、自身の真正面のソファに座って居る状態の優紀の顔を見詰めたまま、面食らって居るで在ろう優紀を不思議そうに観て、更に、優紀に声を掛けるのだった。
「優紀さん…そんなに吃驚する事かしら?
勿論、優紀さんは予期して居なかった事かも知れないけれど、実は、私(わたくし)は、
優紀さんのお稽古を付ける様に成った頃からずーっと今でも、“何れは、優紀さんを内弟
子に…。”って、考える様に成って居たのよ。
だからこそ、既に、私(わたくし)の中では当然の事案なのよ。
でも、そうは言っても今の優紀さんを見て居たら、私(わたくし)と違って、其れは当然
の話では無い様子だから、優紀さんが考える時間も必要かしらね。
優紀さんにはお時間を差し上げるから、少し考えて視て下さるかしら?
宜しくて、優紀さん…。」と…。
だからだったのかも知れない。
“今の私は家元夫人にお稽古を付けてもらって居る身…。
何方にしても断れないかも知れない。”と、此の時の優紀は考えて居たのだった。
だからだったのだ。
此の時の優紀がそんな西門流 家元夫人に返答出来る言葉が有ったとする成らば、こう言うしか無かったのだった。
「承知致しました。」と…。
だからだったのだろう。
優紀からそんな返答の言葉を聞く事が出来た此の時の西門流 家元夫人は、にこにこ顔と共に優紀に言って除けるのだった。
「そう考えてくれるのね。
本当に嬉しいわ。
良いお返事を待って居るわね。」と…。
だが、其の後の西門流 家元夫人は、あれから数週間が経った今でも、優紀からの良い返答の言葉を聞く事が出来ずに居たのだ。
実は、優紀からの返答の言葉は、西門流 家元夫人にとってすれば、何時(いつ)も、逸らかされて(はぐらかされて)居る様にしか感じて居なかったのだ。
と言うのも、優紀からの返答の言葉は、何時(いつ)も、同じ言葉…だったのだ。
「申し訳御座いません。
もう少しだけ考えさせて下さい。」と…。
実の事を言うと、此れ迄のこう言う場合の西門流 家元夫人と言えば…。
本来、「そう、じゃあ、もう良いわ。」と、言い乍ら、自分自身の前から其の人物を排除して来たのだ。
だが、今回の西門流 家元夫人の相手は、優紀…なのだ。
だからだったのだ。
優紀から、「待って欲しい。」と、言われれば、此の時の西門流 家元夫人は待つしか無かったのだ。
だからこそ、此の時の西門流 家元夫人が優紀に返答出来る言葉が有るとする成らば、こう言うしか無かったのだ。
「そうね、分かったわ。
仕方が無いから、もう少しだけ待つわね。」と…。
何故なら…。
既に、優紀の為人(ひととなり)を気に入って居る此の時の西門流 家元夫人は、如何しても、優紀を自身の内弟子にしたかったのだ。
だからこそ、今の西門流 家元夫人…成らば、こう返答するしか無かったという訳…だったのだ。
だが、実は、“何方にしても断れないかも知れない。”と、考えて居た筈の優紀では在ったのだが、優紀は優紀で思う処が在ったので、中々、西門流 家元夫人に返答する言葉が見付からなかったのだ。
実の事を言うと、優紀自身、誰かに此の件を相談したかった事は事実…だったのだ。
だが、此の時の優紀自身、自分自身から相談出来ると思える様な適任者を、中々、見付け出す事が出来ずに居たのだ。
本来成らば、優紀自身、つくしに相談したかったのだ。
だが、“今回の件に関して言えば、つくしは適任者と言えないだろう。”と、優紀自身、判断して居たのだった。
“じゃあ、誰が良いのか?”と、訊かれれば、自分自身が思う様な適任者を思い浮かべる事が出来ないで居た優紀…だったのだ。
そう思って居た優紀では在ったのだが、丁度、そんな時の事…だったのだ。
実は、桜子からLINEメッセージが入って来たのだ。
『今日の先輩はお忙しい様子ですし、大学の帰りにカフェでお茶しませんか?』と…。
だからだったのだ。
此の日の優紀は、『了解しました。』と、LINEメッセージを返信して桜子と待ち合わせする事としたのだった。
其処で、此の時の優紀の顔付きは浮かない様な顔付きにでも成って居たのだろうか?
桜子がそんな優紀に声を掛けたのだった。
「優紀さん…何か悩み事でも有るんじゃ無いですか?」と…。
だからだったのだ。
そんな風に桜子から訊かれた此の時の優紀は驚愕すると同時に、そんな桜子に返答するのだった。
「えっ??
如何して、桜子さんには私の事が分かるんですか?」と…。
だからだったのかも知れない。
此の時の桜子は、“はぁ~⤵”と、溜息を吐く(つく)と共に、そんな優紀に思うのだった。
“優紀さんは先輩じゃ無いんですから…。
先輩が二人居ても困りますわ。”と…。
だが、そんな風に思い乍らも、此の時の桜子は優紀に返答するのだった。
「優紀さんのお顔に書いて在りますわよ。
“悩み事が有る。”って…。」と…。
其処で、此の時の優紀は、桜子からそんな風に返答されてしまった事で、“今の私はどんな顔をして居るのだろうか?”と、驚愕と共に、自身の鞄から鏡を取り出して自分自身の顔を見るのだった。
実は、そんな優紀の行動を傍で見て居た桜子は、“優紀さんは、やっぱり、先輩と同じですわね。”と、笑いたい気持ちを押さえ乍らも、更に、優紀に言って除けるのだった。
「はい、はい。
優紀さん、もう良いですか?
鏡は其処に置いて置いて、私に話して下さい。」と…。
だからだったのだ。
此の時の優紀は、一人、考え始めるのだった。
“もう、こう成ったら、とても、私だけでは桜子さんから逃げられない。
其れに、もしかしたら、桜子さんから良い答えを出してくれるかも知れない。”と…。
其処で、そんな風に考えた優紀は、【つくしからの紹介に寄り、つくしと一緒に、西門流 家元夫人からお稽古を付けて貰って居る事】と【西門流 家元夫人からの打診が有った話】について、桜子に話しし始めるのだった。
そして、其処迄、優紀からの話しを聞いて居た桜子は、優紀に言って除けるのだった。
「そう言う事に成って居たんですか?
でも、如何して、優紀さんは家元夫人からの其の提案話を呑む事が出来無いで居るんです
か?
私には良いお話しだと思いますけど…ね。」と…。
其処で、優紀は、そんな桜子からの話しに如何返答すべきか?
迷い始めるのだった。
だが、此処迄、桜子に話ししてしまった手前…。
此の時の優紀は、本当の自分自身の心の内に在る物を桜子に話しし始めるのだった。
「実は、私は、高校生の頃、西門さんの事が好きに成り、告白した事が有ったんです。
でも、西門さんからは良いお返事を戴く事が出来ず、返って、“仲間のままで居よう!”…
みたいな事を言われてしまって、其の時の私は、失恋したんです。
でも、其の事については、今はもう何とも思って居ないんですが、“私は、きっと、西門
さんから嫌われてしまった。”と、思い、あの日からF4の皆さんとは疎遠に成って居ます
し、西門さんも、家元夫人の内弟子に成った私と会う事は気拙いと思いますし…。
だからこそ、家元夫人にはお断りした方が良いんじゃ無いかと思って居るんです。」と…。
だからだったのかも知れない。
此の時の桜子は、優紀からそんな話しを聞いて、更に、“はぁ~⤵”と、溜息を吐き(つき)乍らも、飄々と、言い始めるのだった。
「でしたら、直接、西門さんにお訊きすれば宜しいんじゃ在りません?
もし、宜しければ、私が其の場をセッティングして差し上げても宜しいのですが…。」と…。
だが、此の時の優紀は、桜子からのそんな話しを聞いて居て、自身の心の中で呟くのだった。
“其れが出来れば、こんなに悩む必要は無いんですが…。”と…。
だが、そんな事を桜子に言った処で、到底、理解して貰える等と思っても視ない優紀は、そんな自分自身の心の内を隠し乍らも、桜子に言って視るのだった。
「いいえ、結構ですよ。
其れこそ、西門さんに嫌われるだけです。
其れに、西門さんも、私からそんな風に訊かれても困るでしょうし…。
返って、“家元夫人に断ってくれ‼”と、仰るだけだと、思いますよ、きっと…。」と…。
「………」
だからだったのだ。
此の時の桜子は苦笑いと共に、結局、其れ以上、そんな優紀に言える言葉を見付けられずに居たのだった。