<此の二次小説『タマの想い【泣かずに居られるのなら】…<つかつく> 番外編』は、
不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
また、秋の彼岸の時期に、此の様な『二次小説ネタ』を、綴って折ります事を、お詫び申
し上げます。
了承の程、宜しくお願い致します。>
【『Birthday Party【泣かずに居られるのなら】…<つかつく> 番外編②』の続き と
エピローグ】
航の『Birthday Party』が、無事、執り行われた事で、航の母親で在る つくし自身も、ホッとして居たのだが、タマも、また、ホッとして居た一人だったのだ。
つくしから、航の思春期についての話しを聞かされた時に、つくしには、“航坊っちゃんの様子を見る様に…。”と、話しして居たタマだったのだが、実は、内心では、冷や冷やして居たのだ。
“司坊っちゃんの様に成らなければ良いが…。”と…。
勿論、タマとて、司と航とでは、性格自体、全く、違う事も認識して居たし…。
育った環境にも違いが在る事自体、認識して居たのだ。
其れに、何よりも、まだ、新生児だった航を、英徳学園 初等部に入学した1年生の頃迄、“自身の手で育てた。”と、言う自負が、タマには有ったのだ。
だからこそ…。
“航坊っちゃんは、司坊っちゃんと違って、大丈夫でしょ!”と、認識して居た事も、また、事実だったのだ。
だが、其れでも、『思春期』という厄介な年頃に突入した航の事を、此の時のタマは、心配して居たのだ。
ところが、そんなタマの心配を余所に、航は、道明寺財閥の御曹司らしく、また、道明寺HDの後継者として、立派に、自身の『Birthday Party』のホストの役目を務めて居たのだった。
実は、此れには、F3&T3も、驚愕する程…だったのだ。
何故なら…。
『Birthday Party』のホストの航 と 『花火大会』の時の航とでは、全くの別人の様にも見えて居たから…だったのだ。
だからだったのだろう。
F3&T3は、驚愕して居たという訳…だったのだ。
そして、類は、そんな航を見て居て、実は、父親の様な気持ちに成り、嬉しく思って居たのだった。
“漸く、航も、自覚出来たみたいだね。”と、思い乍ら…。
そして、此れで、漸く、公に、内外に…と、此の時の航は、道明寺財閥の御曹司として、また、道明寺HDの後継者として、『航』の存在が、世間に、公表された事と成ったのだった。
そして、航の『Birthday Party』が、無事、執り行われた事で、世田谷の道明寺邸にも、漸く、平穏な日常が戻って来た頃の事だったのだ。
タマの体調に、異変が起きたのだ。
あれだけ、『病気知らず』と、寝込んだ事が無い事を、自慢気に豪語して来たタマも、歳には勝てなかったのか?
寝込む事が多く成って来たのだ。
勿論、90歳を超える現在のタマは、現在に於いても、現役バリバリの使用人頭を務めて居たのだ。
だが、床に伏してしまった状態では、タマとて、使用人を仕切る事も出来ず、其の役目を、現在は、世田谷の道明寺邸の女主人で在り、道明寺夫人と成ったつくしに託したのだ。
所謂、つくしが、業務を遂行するのでは無く、タマから言付けを預かり、そして、其の言付けを使用人達に伝え、指示を出すという役目を、つくしに託したという訳…だったのだ。
何故なら…。
タマにとってのつくしは、一番、信用出来る人物だったからなのだ。
だからだったのだろう。
つくしが、タマの自室に出入りする事が多く成った事で、あやめも、タマの下に、つくしと一緒に、良く、現れる様に成って居たのだった。
勿論、タマの下に、つくしと一緒に、良く、現れる様に成ったあやめは、英徳学園 幼稚舎から帰って来た後からだった事は言うまでも無かったのだが…。
また、そんなあやめを見る事も、此の時期のタマにとっては、何よりの癒しに成って居たのだった。
そして、そんなタマの事が心配で、実は、司は、再三に渡って、“(道明寺家の)ホームドクター(道明寺総合病院の院長)に診て貰う様に…。”と、タマに、言い続けて居たのだ。
だが、タマは、そう話ししてくれる司でさえも、一切、首を縦に振らなかったのだ。
実は、つくしは、タマの想いを、タマ自身から聞いて知って居たのだ。
「タマは、幸せ者だよ。
旦那様だけじゃ無く、司坊っちゃん…。
そして、航坊っちゃんを、育て上げる事が出来た。
そして、椿お嬢様に、あやめお嬢様…。
そして、タマにとっては、一番、信頼の置けるつくしに囲まれて…。
だから…さね。
タマは、此の道明寺家に仕えて来た事を、感謝してるんだよ。
天涯孤独の身だったタマは、先代の旦那様に、救って頂いた。
そして、“此の道明寺邸で、タマが、一生を終えられる様に…。”と、先代の旦那様は、遺
言迄、残して下さった。
こんな有難い事は、無い。
其処で、タマは、一番、信頼の置けるつくしに、頼んで置きたい事が有るんだよ。
タマは、90歳を超える此の歳迄、元気で居させて貰った。
航坊っちゃんも、立派に成られた。
此れで、思い残す事は無いさね。
だからこそ…。
治療して迄、長生きしたいとは思わないさね。
自然な形で、タマの一生を終えたい。
だから…。
幾ら、司坊っちゃんが、“治療、治療…。”と、仰っても、タマは、治療を受ける気も無い
さね。
タマにも、自分自身の事は、十分、理解してるさね。
だからこそ…。
そろそろという時は、静かに、此のタマを送っておくれ‼」と…。
「………」
そんなタマからの遺言の様な話しを聞かされた此の時のつくしは、タマに、何と言って、言葉を掛けたら良いのか?
何て、返答したら良いのか?
全く、分からずに居たのだ。
という寄りも、此の時のつくしの頭の中は、真っ白に成って居たのだ。
云わば…。
言いたい言葉を考え、口から発する事が出来無い状態だったと言っても、過言じゃ無い程…だったのだ。
唯、つくしの目からは、自身の涙で、一杯に成って折り、溢れては流れる、溢れては流れるを繰り返して居た程…だったのだ。
そして、其の後のつくしは、タマの想いを、一人だけで、受け止める事が出来無かったと言う事も有り、司に話しして、聞かせて居たのだ。
勿論、此の時の司は、つくし同様、そんなタマの想いを聞いて、ショックを起こして居た事は言うまでも無かったのだ。
そして、そんな或る日の事…。
タマは、道明寺家の執事を呼び出して、願い出るのだった。
「“此処(タマの自室)に、来て貰える様に…。”と、(道明寺家の)ホームドクター(道明
寺総合病院の院長)に、伝えてくれるかい?」と…。
だからだったのだろう。
此の時の道明寺家の執事は、“先輩(タマ)が、治療に専念する気に成って下さった。”と、思い、タマに、「承知致しました。」と、伝え、(道明寺家の)ホームドクター(道明寺総合病院の院長)に、タマからの言付けを伝えるのだった。
そして、(道明寺家の)ホームドクター(道明寺総合病院の院長)は、タマの下に向かうのだった。
実は、“いよいよだろう。”と、思ったタマは、つくしに話しした事と同じ内容の話しを、(道明寺家の)ホームドクター(道明寺総合病院の院長)に、話しするのだった。
勿論、つくしに頼んだ話しだけだった事は言うもでも無かったのだが…。
そして、此の時のタマは、付け加えるかの様に、(道明寺家の)ホームドクター(道明寺総合病院の院長)に、願い出るのだった。
「だから…さね。
入院する事無く、此のタマの部屋で、一生を終えたい。
了承してくれるかい?」と…。
だからだったのだろう。
此の時の道明寺総合病院の院長は、そんなタマの想いを聞いて、“そうする事が、タマさんの幸せに繋がるので有れば…。”と、了承したのだった。
そして、タマは、航の『Birthday Party』が、無事、執り行われた同じ年の暮れに、老衰の為、永眠したのだった。
勿論、其れ迄の道明寺家の面々は、タマとの残り少ないで在ろう日々を考え、出来るだけ、タマと一緒に、過ごす事にして居たのだ。
だからだったのだ。
タマの自室からは、何時も、笑いが漏れて居る程…だったのだ。
もう二度と、タマと一緒に過ごす事が出来無く成った此の時の道明寺家の面々だったのだが、実は、ショックで、崩れる事は無かったのだ。
否、後悔する事無く、其の後の日々を過ごせて居たのだ。
何故なら…。
後々、後悔し無い様に、最後に、タマと撮った動画 や 写真が、道明寺家には、存在して居たから…だったのだ。
だからこそ…。
決して、悲しんでばかりでは無かったのだ。
其れに、タマが、道明寺家の面々に残した功績は、大きいと言えたのだ。
なので、司は、タマの為に、立派なお葬式を執り行ったのだった。
fin