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花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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Close to you~お前の傍に~…<つかつく>  68.




【『Close to you~お前の傍に~…<つかつく> 43.』のエピローグ  
 <一部有り(*)>】


司の頭の中では、次の段階に進む為に、或る考えが浮かんで居たのだった。


だからだったのだ。
大河原邸から帰邸して帰って来た其の後の司は、其の或る考えを考えて居たという訳…だったのだ。


“そろそろ、次の段階に進んでも良いんじゃねぇのか?”と…。


勿論、司の其の考えは、賭けだった事は言うまでも無かったのだ。


実の事を言うと、司の考えた其の賭け(考え方)を実行する事自体、今の司にとっても、少し、不安な賭けだった事は言うまでも無かったのだ。


だが、此の時の司は、其の考え方に反して、“其れでも良いから…。”と、言う思いも、何処かに有り、やはり、実行に移す事としたのだった。



だからだったのだろう。
其の前に、或る人物と会う事にしたのだった。
所謂、此の時の司にとっては、味方に成って貰える人物も、必要…だったからなのだ。


其の或る人物とは…。
そうなのだった。
現在は、つくしの父親と成って居た 大河原社長の事…だったのだ。


此の時の司にとって、つくしの父親と成って居た 大河原社長という人物を、自身の味方にする事に関して、申し分無い相手と云えたのだった。



そして、そう決心した司は、其の後、自身の秘書で在る 西田に、つくしの父親と成って居た 大河原社長にアポを取る様に指示を出し、其の後、大河原社長からの了承が得られた事を確認した上で大河原グループに向かうのだった。


其処で、此の時の司は、つくしとの次の段階に進む為の自身の或る考えを、つくしの父親と成って居た 大河原社長に、話しし始めるのだった。


「実は、“そろそろ、良いんでは無いだろうか?”と、自分自身の考えが纏まりましたので、
 お話しをお聞き頂きたく、大河原社長にお会い頂く事に致しました。」と、話しを切り出すかの様に…。


其処で、実は、司からそんな話しを切り出されて居た此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長は、首を傾げるしか無い状況…だったのだ。


何故なら…。
此れ迄、つくしが企画したプロジェクトについて、道明寺HDだけでは無いにしても、プロジェクト自体を共に執り行って来たのだ。
そして、其のつくしが企画したプロジェクトは、つい最近、漸く、一段落した処…だったからなのだ。


だからだったのだろう。
“其れなのに、また、次のプロジェクトの話しだろうか?”と、此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長にとっては、考えてしまう程…だったのだ。



だが、此の時の司からの話しは、此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長にとって、驚愕する様な話し…だったのだ。


云わば…。
司からの話しを聞いた此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長にとって、そんな司の考え方は、つくしの父親と成って居た 大河原社長自身、此れ迄、眼中に無かった事案…だったのだ。


だからこそ…。
司からの話しを聞いた此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長にとっては、驚愕するしか無い様な話し…だったのだ。



其の司の或る考え方とは…。
つくしは、『車』という乗り物自体にトラウマが有り、『車』という乗り物に乗車する事が出来無いのだ。
其の為に、つくしは、大河原邸以外、何処にも出掛ける事が出来無いという訳…だったのだ。


*嘗て、つくしが企画したプロジェクトを遂行する為に、無人島への視察を兼ねて、例の無
 人島に出向く際、ヘリコプターで向かった時以外、常に、つくしは、大河原邸から一歩も
 出る事は無かったのだ。



だからだったのだ。
此の時の司は、つくしの父親と成って居た 大河原社長に懇願し始めるのだった。


「私につくしさんを任せて下さいませんか?
 つくしさんは、今でも、大河原邸から一歩も出る事が出来ません。
 ですから、私が運転する私の愛車につくしさんが乗車すれば、もしかすると、上手く行く
 かも知れません。
 遣って視たいんです。
 了承下さいませんか?」と…。


其処で、司からのそんな話しを聞いて居た此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長は、驚愕し乍らも、其れでも、司に言って除けるのだった。


「司君も知って居るだろ⁉
 つくしが、何故、『車』という乗り物自体にトラウマが有るのか?
 此の話しを、妻 と 滋が聞けば、きっと、大変な事に成る。
 否、大揉めに成るだろう。
 という寄りも、漸く、大河原家 と 道明寺家との確執も治まり掛けて居た所だったの
 に、もし、そんな事に成ったら、また、確執が深まるだけだろう。
 だから、“もう少し、つくしの様子を視てから…。”と、言う事にしては、如何だろう
 か?」と…。


だが、此の時の司は、一歩も、自身の考えを譲る気等、毛頭無かったのだ。


だからだったのだ。
此の時の司は、更に、つくしの父親と成って居た 大河原社長に懇願するかの如く、訊き始めるのだった。


「では、其れは、何時(いつ)の頃に成りますか?
 私は、何時(いつ)迄、そんなつくしさんを待って居れば宜しかったのでしょうか?」と…。



其処で、実は、此の時の司は、つくしの父親と成って居た 大河原社長からの返答の言葉を、唯、只管(ひたすら)、じーっと、待って居たのだ。


だが、結局、つくしの父親と成って居た 大河原社長からの返答の言葉が無い事から、此の時の司は、続け様かの如く、再び、話しし始めるのだった。


「此のまま、つくしさんは、大河原邸で過ごす訳にはいかない筈です。
 つくしさんの将来は、私との結婚が控えて居ます。
 ですから、つくしさんの将来は、私と共に、道明寺邸で暮らして欲しいと考えて居ます。
 と言う事は、一日でも早く、つくしさんの中に在る トラウマを解消して欲しいと、私が
 考えて居たとしても可笑しくないと思います。
 其れに、つくしさんの婚約者で在る 私が、つくしさんのお役に立ちたいと考えて居たと
 しても、何ら、変な話しでは無い筈です。
 其れでも、駄目でしょうか?」と…。



勿論、同じ男性の立場で在る つくしの父親と成って居た 大河原社長にとって、司のつくしへの想いは、良く分かって居るのだ。


だが、つくしの周りには、そんな事を許さないで在ろう 者達が存在して居る事も、また、事実だと云えたのだ。


だからだったのだ。
此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長は、司に言えた言葉…だったのだろう。


「先ずは、私自身、司君のつくしへの想いが分かった事を伝えて置く。
 其の上で、私には司君に言って置かなければ成らない事が有る。
 其れは、“家族と相談させて欲しい。”と、言う事だ。
 プライベートと成ると…。
 という寄りも、つくしの事と成ると、滋からの了承を得て置かなければ、後が大変に成る
 事は、誰の目にも明らかだ。
 だからこそ…。
 事前に、滋からの了承を得て置きたい。
 其れに、ここ最近では、妻さえも、滋に加担し始めて居る。
 其れと、司君も、既に、知って居ると思うが…。
 大河原家の使用人頭の『ばあや』は、私の育ての親でも在って…ね。
 私は、『ばあや』に反抗出来無いんだよ。
 なので、先ずは、家族と話し合いをさせて欲しい。」と…。



勿論、司にとっても、大河原家の使用人頭で在る 『ばあや』の様な存在が居るのだ。
そうなのだ。
道明寺家の使用人頭を、此れ迄、60余年、勤めて来た司にとっても、育ての親の様な存在のタマが居るのだ。


其れに、其れだけでは無く、司には、目の上のたん瘤の様な存在の人物が居るのだ。
そうなのだ。
其れは、自身の姉で在る 椿…だったのだ。


だからだったのだ。
司には、此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長の言いたい事も分かるのだ。


だからだったのかも知れない。
此の時の司は、思わず、つくしの父親と成って居た 大河原社長に言ってしまって居たのだった。


「分かりました。
 後で揉める事の方が大変そうなので、大河原社長のご指示に従います。
 宜しくお願い致します。」と…。



だからだったのだろう。
此の時のつくしの父親と成って居た 大河原社長は、司からの英断の言葉に、ホッとして居たのだった。


だからこそ…。
つくしの父親と成って居た 大河原社長は、司に言えた言葉だったのだろう。


「そう言ってくれて、良かったよ。
 悪い様にはし無いつもりだから…。
 まぁ~、こう言うのも何だが、其れと並行して、此れからのつくしの事を、私 と 司君
 とで話し合って行こう。」と…。


だからだったのだ。
此の時の司は、家族との話し合いを進め乍らも、自身とも、話し合いして行くというつくしの父親と成って居た 大河原社長の言葉を、“信用して視よう‼”と、決断した事で、つくしの父親と成って居た 大河原社長に返答するのだった。


「承知致しました。
 此れからも、宜しくお願い致します。」と…。


という訳で、司の賭けは、直ぐ、実行されるのでは無く、取り敢えず、お預けと成って居たのだった。

鰻重【会いたい】…<つかつく>  番外編





土用の丑の日
 2022年7月23日…一の丑
 2022年8月4日…二の丑



【司 と つくしの愛娘で在る ひなが、漸く、『道明寺ひな』と、成った頃の初めての
 『土用の丑の日』の出来事】


其の日のひなは、道明寺邸に帰邸して直ぐ、ダイニングルームに向かって居たのだ。


何故なら…。
ディナーの時間と成って居た為に、道明寺家の執事に促されて居たから…だったのだ。


其処で、ひなは、涙を流す事と成るのだった。



実は、此の日は、『土用の丑の日』…だったのだ。


だからだったのかも知れない。
此の日のディナーは、『鰻重』…だったのだ。



其処で、道明寺家の料理長は、『鰻重』を食して居るひなに訊くのだった。


「ひなお嬢様…。
 『鰻重』は、如何(いかが)で御座いますか?
 本日は、『土用の丑の日』で御座いますので、『鰻重』を御準備させて頂きました。
 ごゆるりとお召し上がり下さいませ。」と…。


其処で、此の時のひなは、そんな風に、道明寺家の料理長に促され、『鰻重』を食し乍らも、涙を流し始めたという訳…だったのだ。



だからだったのだろう。
此の時の道明寺家の料理長は、司 と つくしの愛娘で在る ひなの涙を見て、驚愕するのだった。


何故なら…。
此の時の道明寺家の料理長は、司 と つくしの愛娘で在る ひなの涙を見て、“とんでもない事をしてしまった。”と、思えたから…だったのだ。


だが、此の時のひなは、そんな風に、オドオドして居る道明寺家の料理長を余所に、話しし始めるのだった。


「料理長…ご免なさい。
 吃驚しましたよね?
 実は、ママの事を思い出してしまって…。
 なので、勝手に、涙が出てしまった様です。」と…。


だからだったのだ。
此の時の道明寺家の料理長は、自身に、そう話ししてくれた司 と つくしの愛娘で在る ひなに対して、又もや、驚愕するのだった。


だが、そんな道明寺家の料理長の状況等、気にする様子も無く、此の時のひなは、また、話しし始めるのだった。


「“きっと、ママは、こんな豪華な『鰻重』を食した事は無かったんだろうなぁ~。”と、
 思ったんです。
 実は、小学生の頃の私は、ママから、『穴子丼』が『鰻丼(=鰻重)』だと教えられて
 居たんです。
 其の当時の私も、(TVの)番組 や CMとかで、豪華な『鰻重』を見た事は有ったん
 ですが…。
 私が知って居る『穴子丼』は、丼(どんぶり)に盛られて居たので、(TVの)番組 や 
 CMとかで見て居た豪華な『鰻重』とは、別物だと思って居たんです。
 でも、私が中学生に成った頃に知ってしまったんです。
 『土用の丑の日』に食するのは『鰻』で有って、『穴子』では無いと言う事を…。
 そして、スーパーで売られて居る『鰻』 と 『穴子』の値段を見て、私は、悟ったんで
 す。
 如何して、『土用の丑の日』に成ると、ママは、小学生の頃の私に、“此れが、『鰻丼
 (=鰻重)』だ。”と、偽って、『穴子丼』を作ってくれて居たのか?
 其の事を知った私は、其の当時の牧野家のエンゲル係数から言うと、“とても、『鰻』が
 買えなかったんだろうなぁ~。”と、思えたんです。
 だから、“きっと、ママは、こんな豪華な『鰻重』を食した事は無かったんだろうなぁ
 ~。”と、思えてしまったら、勝手に、涙が出てしまった様です。
 吃驚させて、ご免なさい。」と…。


だからだったのだろう。
其の後の道明寺家の料理長は、「ごゆるりと、お召し上がり下さいませ。」と、再び、ひなに声を掛けて、其の場を退席したのだった。



実は、此の道明寺家の料理長は、現在の道明寺家の料理人の中でも、唯一、英徳高校時代の司 と つくしの事を知って居る料理人…だったのだ。


だからこそ…。
此の時の道明寺家の料理長は、そんなひなを前に、伝える言葉を失って居たのだった。



だからだったのかも知れない。
司 と 進兄弟が道明寺邸に帰邸して直ぐ、ダイニングルームに向かった際、道明寺家の料理長は、ひなから聞いた其の話しを、司 と 進兄弟に話しするのだった。


そして、そんな話しを道明寺家の料理長から聞いた進は、補足を加えるかの如く、話しするのだった。


「そうですね。
 きっと、姉ちゃんは、こんな豪華な『鰻重』を食した事は無かったと思います。
 もし、其の当時、『鰻』が手に入ったとしても、姉ちゃん自身は食べずに、(牧野家の)
 両親 や 俺 や ひなに食べさせて居たと思います。
 姉ちゃんという女性(ひと)は、そう言う女性(ひと)でしたから…。」と…。


実は、進からのそんな話しは、司だけでは無く、道明寺家の料理長も、納得する処…だったのだ。



だからだったのだ。
此の時の進は、再び、話しを続けるかの様に、ボソッと、話しし始めるのだった。


「そうかぁ~。
 ひなは、知って居たんだな。
 其れでも、ひなは、知らない振りをして、俺を気遣うかの様に、『土用の丑の日』に成る
 と、『鰻丼(=鰻重)』では無く、『穴子丼』を作り続けてくれて居たのか?
 何方にしても、其の当時の俺の給料じゃあ、『土用の丑の日』だからと云って、そう簡単
 に、“『鰻』を買う訳にはいかない。”と、でも、ひなは、思ったんだろうなぁ~。
 ほんと、ひなには、苦労ばかり掛けて来たんだな。」と…。



だからだったのかも知れない。
此の時の司は、進がボソッと発した話しを聞いて居た事で、此の場では涙を見せる事無く、道明寺家の料理長に懇願するのだった。


「料理長…悪ぃが、少し、『鰻重』を器に盛ってくれるか?
 つくしに食べさせて遣りてぇんだわ。」と…。


だからだったのだろう。
此の時の道明寺家の料理長は、「承知致しました。」と、其れ以上の言葉は、何も言わず、其の場を、一旦、後にして、『鰻重』を器に盛って来たのだった。


だからだったのだ。
此の時の司は、そんな道明寺家の料理長に、「サンキュー!」と、伝えたまま、其の器を受け取り、其の後、席を立ち、自身の自室に籠ったのだった。


何故なら…。
此の時の司は、つくしと二人切りに成りたかったから…だったのだ。
其処で、此の時の司は、つくしに言って除けるのだった。


「つくし…此れが、『鰻重』だよ。
 つくしは、『鰻重』を食べた事が無かったらしいな。
 だから…よ。
 ゆっくり、食べろ‼」と…。


だが、此の時の司は、口に出して言えなかった事が有ったのだ。


だからだったのだろう。
此の時の司は、涙を流し乍ら、自身の心の中で、つくしに詫びを入れて居たのだった。


“ご免な、つくし‼
 『鰻重』を食べる事が出来無い様な生活をさせて…よ。
 お前が生きてる間に、『鰻重』を食べさせて遣りたかったわ。”と…。


だが、全ては、後の祭りだという事を理解して居る此の時の司は、唯、涙を流す事しか出来無かったのだった。



PS.


其の後、毎年、『土用の丑の日』に成ると、つくしの為に『鰻重』が準備された事は言うまでも無かったのだった。



fin




<此の二次小説『鰻重【会いたい】…<つかつく>  番外編』の中に出て来る『鰻丼(=
 鰻重)』の意味合いですが…。
 『鰻重』 と 『鰻丼』は、器が違うだけで、結局は、同じ食べ物(鰻の蒲焼)です。
 『鰻重』は、重箱に盛られて、『鰻丼』は、丼(どんぶり)に盛られます。
 という訳で、牧野家の場合、重箱に盛られる様な『鰻重』という訳にはいかないと考
 え、『鰻丼(=鰻重)』という様な書き方をさせて頂きました。
 了承の程、宜しくお願い致します。>

鰻重【会いたい】…<つかつく>  お詫び




皆様、こんにちは!
amiです。



いつも、『tukatuku-inotiのブログ』をご覧下さり、有難う御座います。


また、『会いたい…<つかつく>』をご覧下さって折ります事にも、感謝申し上げます。



実は、先ず、本文を綴る前に、今日(2022年8月6日)は、お詫びを兼ねて投稿致しました。


タイトル名をご覧頂きましただけでも、お分かり頂けるかと思いますが…。
此の時期、『鰻重』と、言う文字を見れば、本来なら、『土用の丑の日』を思い出されるかと思います。


そう何です。
此の二次小説『鰻重【会いたい】…<つかつく>  番外編』は、『土用の丑の日』がテーマと成って折ります。


実の事を言うと、今年(2022年)の『土用の丑の日』は、2022年7月23日(一の丑) と 2022年8月4日(二の丑)…だったんです。


だったんですが、今日は、既に、2022年8月6日です。


“じゃあ、『土用の丑の日』をスルーしても良かったんじゃ無いか?”と、思われるんだろう事も承知致して折ります。



ですが、主人の一言(「今日(2022年8月4日)って、『土用の丑の日』じゃ無かったんか?」)で、思い出したんです。


勿論、主人は、“鰻を食べたい!”と、言う思いも有り、私に言って来た事は間違い在りません。



ですが、思い出してしまったんです。


2022年7月23日の時点で、既に、『土用の丑の日』を題材にした二次小説『鰻重【会いたい】…<つかつく>  番外編』を妄想して居たにも関わらず、何故、2022年7月23日(一の丑)に綴る事無くスルーして迄、2022年8月4日(二の丑)に綴る事にして居たのかを…。


其れは、実の事を言うと、其の2022年7月23日の数日位前(2022年7月18日・19日)から、『海水浴【会いたい】…<つかつく>  番外編①~③』を綴って居たという事も有り、話の流れから、“(話の内容を)途切れさせるのも…。”と、言う思いから、意識的に、2022年7月23日(一の丑)に綴る事無くスルーしました。


だというのに、【うっかり】という寄りも、【すっかり】、『土用の丑の日』の事を忘れて居たんです。



しかも、2022年7月29日~2022年8月3日迄、『tukatuku-inotiのブログ』をお休みにして居たにも関わらず、忘れてしまって居た様です。


或る意味、お休みして居たからこそ、忘れてしまって居たのかも知れません。



ですが、何故、『tukatuku-inotiのブログ』をお休みして居たのか?
其れには、止ん事無き、深い訳が有るのです。


*其の止ん事無き訳については、或る理由から、此処では、伏せさせて頂きます。



実は、此の度、“『鰻重【会いたい】…<つかつく>  番外編』を綴りたい。”と、思った訳は、私なりの思いが有っての事…何です。


此れ迄、日本の行事事に合わせた二次小説について、此の様なイレギュラーな形で投稿するのは、私が記憶して居る(『tukatuku-inotiのブログ』)の中では、初めてのケースかも知れません。


だからこそ…。
例え、日にちが遅れ様とも、綴って置きたい衝動に駆れてしまったのかも知れません。



という訳で、本来の『土用の丑の日』で在る 2022年7月23日(一の丑) と 2022年8月4日(二の丑)では無く、今日(2022年8月6日)に綴る事と致しました。


其れでは、此の後から、綴って視ます。



此処で、お詫びなのですが、此の件に関しまして、『tukatuku-inotiのブログ』をご覧下さって折ります全ての読者様に於かれましては、了承の程、宜しくお願い致します。



こんなamiでは在りますが…。
此れからも、『tukatuku-inotiのブログ』を宜しくお願い致します。



ami