昔からある場所…<つかつく> 1.
<司side>
俺は、道明寺司、26歳。
誰もが知っている道明寺財閥の御曹司で、道明寺HDの後継者。
現在の俺は、日本支社 支社長を務めている。
そんな俺には、高校の頃から、付き合って居た彼女が居た…筈だった。
俺が、21歳の時、あいつとは、音信不通に成り、それ以来、あいつの姿を見た者は、誰一人として居ねぇ。
其れは、あいつ等 F3も、また、然りだった。
何故、姿を消さなければいけなかったのか?
俺には、分からねぇ。
F3&T3も、分からねぇらしい。
其れも、数ヶ月後には、東京⇔NY間の遠距離恋愛が終わりを告げるという4年経つ頃の事だった。
そんな時のつくしの失踪だった。
其れも、『牧野家』の家族共々…。
確かに、公表はされてはいねぇが…。
去年、親父が、2度目に倒れた事で、道明寺HD内で、内紛が起こり、一時は、道明寺HDの存続さえも危ぶまれた事は確かだった。
だが、俺は、乗り切った。
勿論、あいつ等 F3&滋に助けてもらった事は言うまでもねぇ。
だからって訳じゃねぇが…。
その間、俺は、つくしに連絡する事さえも儘成らず…。
つくしには、言い訳じゃねぇが、後で、正直に話しすれば、分かってもらえるという、安易な考えが有った事も、また、事実だった。
あれから、5年、その後も、全く、つくしを見たという奴が現れねぇ。
つくしが居たという存在さえも、無かった事の様に、音沙汰が無く成って居た。
だからという訳じゃねぇだろうが…。
ババアからは、見合いの話しが、俺に持ち込まれ出して居た。
ババアが、俺に言う言葉は、いつも同じだった。
「つくしさんが、何処に居るのか? or 居ないのか?
分からないこの状況で、貴方は、ずーっと、一人を貫くおつもりですか?
其れは、道明寺HDの損失を意味するんですよ‼」
俺は、ババアのそんな言葉を、いつも、跳ね除けていた。
「俺は、あいつじゃなきゃな、誰も、要らねぇんだよ‼
ババアが、誰を俺に宛がおうが、俺のガキは、要らねぇし、出来ねぇよ‼」
「………」
ババアは、俺のそんな言葉に、いつも絶句していた。
だから、俺は、此の5年間、プライベートは出来るだけ、“要らねぇ‼”と、西田には、言い続けて来た。
だが、身体は、もう、限界を差していた。
あいつが、傍に居ねぇという事も確かだが…。
あいつが、生きているのかさえ、分からねぇこの状況に、俺は、もう、限界だった。
誰か、教えて欲しい。
あいつは、生きているのか?
其れとも…?
後者は、考えたくなかった俺だった。
<つくしside>
私は、今、日本の途に着いたばかりだった。
私は、空港に着いた時、SPから、リムジンに乗る様に、促されて居た。
久し振りの日本。
“あれから、5年経っただなぁ~”と、しみじみと、感慨に耽って居た時だった。
私の乗って居たリムジンは、丁度、英徳学園の前を通過しようとしていた。
其れは、『昔からある場所』…。
見た感じは、何も、変わらない場所だった。
私は、何故か?
運転手に声を掛けてしまって居た。
「止めてぇ~‼」
そして、SPが、ドアを開けてくれたので、私は、下りた。
そして、英徳学園の警備員に伝えて、中に入れてもらえた。
偶々、私が、英徳学園に在籍して頃の警備員だったらしく、私は、すんなり、中に入れた。
そして、SPと共に、学舎の中に入った。
“全然、変わってない‼”と、思えた。
そして、あいつとの思い出の場所…?
屋上に行ってみた。
其処も、また、『昔からある場所』だった。
あれから、8年、経って居るのに…ね。
高校生だった私は、此処(英徳高校の屋上)で、あいつに、“付き合おう‼”と、宣言したんだっけ?
F3&T3には言わず、あいつと私だけの内緒の付き合いだった。
此処(英徳高校の屋上)で、あいつは、私が、作って持って来たお弁当を食べてくれたんだよね。
私、お手製の卵焼きを食べてくれたっけ?
で、エノキのベーコン巻きを『イソギンチャク』って、言ってたよね。
そして、あいつと私と、初めて出会った場所…。
そう、あの階段も下りてみた。
あの当時の風景が、見えた様な気がして居た。
もう、何もかも、戻って来る事の無いあいつと私の思い出。
私の決断が正しかったかは、今となっては、分からない。
けど、もう、後戻り出来ない私が、其処には居たのだった。
そして、もう一つ、私にとって、思い出の場所…。
其れは、あの非常階段だった。
そう、『soul mate』だった花沢類との思い出の場所。
私の初恋の人…。
そして、あの非常階段前に来た時、此処(非常階段)には、時の流れを感じてしまった私だった。
非常階段扉の鍵が施錠されたままに成って居た。
うう~ん、鎖で、扉の取っ手が、繋がれていた。
私が、英徳学園に通って居た頃は、鎖で扉の取っ手は、施錠されて居なかったその場所。
“そう言う事、何だろう⁉”と、いう事は、頷けた私だった。
確実に、5年の歳月は、流れていた。
私はもう、後戻りしては、行けないのだろう?
私は、学舎を出て、警備員にお礼を伝えて、SPと共に、リムジンに乗車して、また、私は、私の居るべき場所に戻って行ったのだった。