tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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もし、全員、幼馴染だったら…<F4&T4>  50.



滋は、あの静の『Birthday party』以来…。
清永を追い掛ける様に成ったのだった。


司が、言って居た通り…。
滋は、ミイラ取りがミイラに成った訳なのだ。


だが、清永に至っては、そんな滋に対して、其れまでと変わらない態度だったのだ。


其れでも、滋は、一旦、心に決めた事は、全うし様とするタイプなのだ。


だからだったのかも知れない。
滋の想いは、清永に向かわせるのだった。



そんな娘で在る 滋の気持ちを確認した滋の父親で在る 大河原グループ 社長の大河原社長は、司の父親で在る 道明寺HD 会長の保が、出張で、日本に帰国して帰って来た際に…。
此の話しを、打診するのだった。


だからだったのかも知れない。
司の父親で在る 道明寺HD 会長の保は、滋の父親で在る 大河原グループ 大河原社長の話しを聞いて…。
“清永と滋さんの両者の想いが、一致する成らば…。
 話しを進めても良いのかも知れない。”と、思うのだった。


そして、清永の気持ちは、伯母で在る 楓が、訊く事に成ったのだった。



だが、此の時点に於いての清永の想いは、未だ、滋には、向いて居なかったのだ。


清永としては、あの静の『Birthday party』での件は、親切心で、滋に対応して居たのだった。


だからだったのだろう。
そんな気等…。
清永としては、毛頭無かったのだ。


なので、清永の想いとしては、困惑と言った方が、当たって居る状況だったのだ。


だが、此の時の楓は、伯母の立場として、言って除けるのだった。


「滋さんは、明るくて、とっても、良いお嬢さんよ‼
 貴方のお相手としても、申し分ないと思うわ。
 取り敢えず…。
 お付き合いだけでも、して視たら…。」と…。


だが、清永は、心の中で、思うのだった。


“僕という寄りも…。
 道明寺家にとって…。
 申し分ない家柄だという事だよね。”と…。


だが、清永は、自身の母親が、離婚後…。
伯母夫婦で在る 道明寺家には、お世話に成って居るので、反論する事も出来ず…。
了承するのだった。


「そうですね。」と…。


なので、取り敢えず…。
清永は、“滋さんと付き合って視よう‼”と、言う事に成ったのだった。



そして、其の事を知った司は、清永に、声を掛けるのだった。


「よぅ~、清永…。
 聞いたぞ‼
 滋と付き合う事に成ったらしいな。
 やっぱ…。
 そう言う話しに成ったかよ?
 まぁ~。
 良いんじゃねぇ⁉
 でも…よ。
 お前等…。
 俺が、言った通りに成ったな。
 ミイラ取りがミイラに成ったのかよ。
 まぁ~、頑張れや‼」と…。


だが、此の時点の清永は、そんな軽いタッチで、話しして来る司には、苦笑いだったのだ。


だからだったのかも知れない。
清永からの返事は、身が入って居ない感じだったのだ。


「そうだね。」と…。



だが、其の後の清永と滋は…。
本格的に、付き合いを始めて居たのだった。
勿論、滋が、清永を引っ張って居る事は言うまでも無いのだが…。


云わば…。
此の清永と滋の付き合いに関しては、率先的に、行動して居ると云えるのは、滋の方だったのだ。
所謂、指導権は、滋の手に在るという訳だったのだ。


だからだったのかも知れない。
滋にとっての此の清永との付き合いは、居心地が良い物だったのだ。


何故なら…。
清永は、優しさに溢れた男性だったのだ。


其の清永の優しさは、顔付きにも、表れて居たのだった。


所謂、突っ走るタイプの司 や 滋の様なタイプには、我慢出来るタイプのつくし や 清永の様なタイプの人間が良いと言う事なのかも知れない。


唯一、清永 と つくしとの違いは…。


『つくし』成らば…。
司の駄目な所は、駄目ときちんと言える所なのだろう。


其れが、『清永』成らば…。
「うん、良いよ。」と、滋に、言ってしまうのだ。


所謂、清永は、滋の遣りたい様に、遣らせて上げられる懐の広さが有るのだ。


だからだったのかも知れない。
滋は、そんな清永に対して、不満等無く…。
居心地の良さに、更に、清永への想いを高めていくのだった。



という訳で…。
其の後のF4&T4&清永&静のそれぞれの交際は、順調に、育まれて行く事に成るのだった。



【司&つくし】


【類&静】


【総二郎&優紀】


【あきら&桜子】


【清永&滋】



それぞれの恋愛模様は、様々…。



【司&つくし】は、其の後…。
司が、英徳高校を卒業後…。
つくしの英徳高校の卒業を待って…。
所謂、英徳高校卒業後の司の1年間は、取り敢えず…。
英徳大学に、進学して…。
共に、其の後は、NYに渡米して、司は、大学に通い乍ら、ビジネスの勉強も熟して居たのだった。
そして、つくしは、NYに渡米後…。
大学に通い乍ら、楓に就いて、メープルで、修行の日々だったのだ。
後のつくしは、楓の後継者として、メープルのオーナーを務める事に成って居るのだった。
そして、司とつくしの住まいは、NYの道明寺邸にて、同室だったのだ。
此の件は、司が、押して押し捲った結果、両家から、許されたのだった。
そして、其の後…。
司が27歳・つくしが26歳の時に、日本に帰国して帰って来た事で…。
司は、日本支社 支社長と成り、つくしは、東京メープルの支配人を務める事に成ったのだった。
そして、此の同じ年に、結婚式を挙げ、夫婦に成ったのだった。



【類&静】は、其の後…。
同棲をし乍ら、共に、支え合って居たのだった。
類は、フランスの学校(大学も含めて)を卒業後は、花沢物産 フランス支社 支社長に成るべく…。
修行の日々だったのだ。
そして、静は、フランスでの国際弁護士の資格を取得後は、フランスにて、国際弁護士として、活躍するのだった。
そして、類が25歳・静が28歳の年に、類は、フランス支社 支社長に成った事を機に、結婚式を挙げ、夫婦に成ったのだった。



【総二郎&優紀】は、其の後…。
総二郎は、英徳大学に進学後も、次期家元として…。
西門流を支えて居たのだった。
そして、優紀は、英徳高校を卒業後は、英徳大学に進学して、華道の師範として、熟し乍らも、将来の西門流 次期家元夫人に成るべく、総二郎の母親で在る 西門流 家元夫人に、就いて、修行の日々だったのだ。
優紀の修行も、順調に熟している中…。
華道との両立も、可能だろうとのお許しが出た事で…。
総二郎が26歳・優紀が25歳の時に、結婚式を挙げ、夫婦に成ったのだった。
因みに、総二郎の兄で在る 祥一朗と、優紀の姉で在る 瑞紀の結婚式は、総二郎&優紀の結婚式から遡る事、2年前に挙げて居り、既に、一児の親に成って居たのだった。
勿論、瑞紀・優紀姉妹で、婚家が同じと言う事に成ったのだった。
所謂、両家の母親の企み通り、兄弟姉妹で、姻戚関係と成ったのだった。



【あきら&桜子】は、其の後…。
其の後も、桜子は、あきらの母親で在る 夢子に、教わり乍ら、料理の勉強をして居たのだった。
だが、桜子は、英徳大学に進学後…。
夢子と話し乍ら、料理学校を経営する事に成ったのだった。
何故なら…。
桜子は、夢子から、料理を教わり乍ら、ずーっと、思って居たのだ。
“おば様の腕を振舞える場所が有ったら良いのに…。”と…。
其処で、あきらに、料理学校の話しを提案したのだった。
そして、其の案が、採用されたという訳だったのだ。
勿論、桜子は、夢子の助手を務めた事は言うまでも無かったのだ。
そして、あきらは、言わずと知れた美作商事にて、英徳大学に進学後から…。
経営に関わる様に成って居たのだった。
本来のあきらは、実は、高校に入った頃から…。
徐々に、修行は、始まって居たのだった。
そして、夢子が、オーナー 兼 先生を務める料理学校の経営も、順調な事から…。
旧 華族 三条家の現 当主で在る 桜子の祖母からのお許しが得られた事で…。
あきらが28歳・桜子が26歳の時に、結婚式を挙げ、夫婦に成ったのだった。



【清永&滋】は、其の後…。
本来の清永は、英徳大学卒業後…。
道明寺HDに、入社の予定だったのだ。
だが、両家の相談の結果…。
“早いに越した事は無い。”との判断が為された事で…。
清永は、大河原グループに、入社する事に成ったのだった。
なので、清永は、滋共々…。
大河原グループにて、修行の日々と成ったのだった。
そして、後には、清永と滋が、大河原グループを継いで行く事に成ったのだった。
此方の両者の結婚に関しては、妨げる物等…何も無い事から…。
清永が28歳・滋が25歳の時に、結婚式を挙げ、夫婦に成ったのだった。



こうして、それぞれの日々が過ぎて行ったのだった。



fin

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