tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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初盆、そして、彼岸【泣かずに居られるのなら】…<つかつく>  番外編



9月23日…秋分の日=秋の彼岸
(9月20日…彼岸入り ・ 9月23日…中日 ・ 9月26日…彼岸
 明け)



<此の二次小説『初盆、そして、彼岸【泣かずに居られるのなら】…<つかつく>  番外
 編』は、不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
 秋の彼岸の此の時期に合わせて、此の様な『二次小説ネタ』にて、綴って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



【『タマの想い【泣かずに居られるのなら】…<つかつく>  番外編』の続き】


道明寺家として、司が、タマの葬儀を、取り仕切って居たのだ。
勿論、“盛大に…。”と、言う事は言うまでも無かったのだが…。


だからだったのだ。
喪主は、司が、務めたのだ。



実は、本来なら、司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保が、喪主を務める予定にして居たのだ。
だが、司から、自身の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保に志願したのだ。


「タマは、俺にとって、親代わりでも在るんだ。
 だから…よ。
 喪主は、俺に遣らせてくれ‼」と…。


其処で、実は、司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、悩んだのだ。


何故なら…。
司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保自身にとっても、タマは、親代わりと言っても過言じゃ無かったのだ。


なので、此の時の司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、悩んだという訳…だったのだ。


だが、此の時の司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、考え直し、司に、喪主を任せる事にしたのだった。


だからだったのだろう。
此の時の司の父親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保は、思って居たのだった。


“私と司にとって、タマは、大切な存在に変わりない。
 そんな大切な存在のタマの葬儀だからこそ、司に喪主を任せ様‼
 きっと、タマも、其の方が、喜ぶだろう。”と…。


という訳で、司が、タマの葬儀の喪主を務めたという訳…だったのだ。



そして、此の日のタマの葬儀の間中…ずーっと、泣いて居た者が居たのだ。


其れは、実は、司の姉で在る 椿 や 司の妻で在る つくしだけでは無かったのだ。
実は、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓も、其の一人だったのだ。


実の事を言うと、此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の泣き方は、司の姉で在る 椿 や 司の妻で在る つくしの様に、人目を気にし無い様な泣き方では無く…また、司の姉で在る 椿 や 司の妻で在る つくしの様に、「オイオイ」と、声を出し乍ら泣くのでも無く…所謂、此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の泣き方は、人目を気にするかの様に、静かに、泣いて居たのだ。


だが、此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の目からは、止め処無く、涙が溢れては流れて来る様で、其の流れて来る涙を、ハンカチで拭い乍らだった事は言うまでも無かったのだ。



だからだったのかも知れない。
そんな自身の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の様子を観た此の時の司は、思って居たのだった。


“鬼の目にも涙…。
 息子の俺でも、『鉄の女』の涙を、初めて、観た様な気がするぜ‼”と…。



実は、タマの葬儀に参列して居たF3も、そんな司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の様子を観て居たのだ。


だからだったのだろう。
此の時のF3も、司と同じ様に思って居た様で、それぞれ、心の中で、思って居たのだった。


何故なら…。
此の時のF3とて、不謹慎に、口に出して言える状況では無かったから…だったのだ。


“もしかして、司の母ちゃん…泣いてるの?”


“マジか?
 司の母ちゃんの目が、真っ赤に成ってるぜ‼
 もしかしたら、俺自身、司の母ちゃんの泣いてる姿を、初めて、観たのかも…な。”


“『鉄の女』の目にも涙…ってか?
 やっぱ、司の母ちゃんも、『人の子』…だったって訳だな。”と…。



そして、タマの葬儀は、滞り無く、無事に終える事が出来たのだった。


云わば…。
此の時の司自身、自身から父親に願い出た手前…。
タマの葬儀が、滞り無く、無事に終えられた事に関して、ホッとして居たのだった。



そして、実は、仕事の関係上…。
翌日の司の両親で在る 道明寺HD 会長 道明寺保 と 道明寺HD 社長 道明寺楓夫妻…そして、司の姉で在る 椿夫妻も、それぞれの場所に、戻って行ったのだ。
タマを失ってしまったという傷心のままに…後ろ髪を引かれる様な思いのままに…。



そして、司とつくしは、年内の内に、タマのお墓を建てて、納骨を済ませて居たのだ。
実は、タマのお墓が建てられた場所は、道明寺家の所縁の在る お寺に建てられたのだ。
勿論、道明寺家のお墓が建てられて居る隣に、タマのお墓が建てられたという訳…だったのだ。


実は、タマのお墓は、先代の当主で在った 司の祖父で在る 先代の道明寺財閥 総帥の遺言で、何時の日かの為に、既に、準備されて居たのだった。



そして、実は、タマの自室は、其のままにして在るのだ。


何故なら…。
其れが、先代の当主で在った 司の祖父で在る 先代の道明寺財閥 総帥の遺言でも在ったからなのだ。


だからだったのだ。
タマの自室に、タマの仏壇を祀って(まつって)居たのだ。


だからだったのだろう。
其の日の司が、出張等で道明寺邸に帰って来られない事が、事前に分かって居る時のつくしは、タマの自室に入り浸る日も有った位だったのだ。


何故なら…。
此の頃のつくしは、タマの存在が見えなくても、タマの自室 や タマの仏壇の前に居る事で、ホッとするから…だったのだ。


そうなのだ。
つくしにとってのタマは、『先輩』で在り、『お祖母ちゃん』…だったのだ。
其れに、つくしにとってのタマは、良き理解者で在り、心の支えでも在ったのだ。


だからだったのだろう。
此の頃のつくしにとって、自身の支柱とでも言って良い程のそんな存在で在ったタマを、つくしは失ったも同然の様な状況…だったのだ。


だからだったのかも知れない。
タマの自室 や タマの仏壇の前に居ると、此の頃のつくしは、自然と、安心出来て、ホッとするのだった。


だからだったのだろう。
つくし自身の中で、不安な事が有ったり、ホッとしたい時には、自然と、タマの自室に、つくしの足は、向くのだった。


なので、其の事を知って居るつくしの夫で在る 司も、また、つくしの息子で在る 航も、つくしには、其の事に関して、一切、何も言わなかったのだ。



と言う訳で、道明寺家としては、タマも、道明寺家の一員と考えて居たので…。
毎年、行われて居る道明寺HD主催のNYでのクリスマスパーティー と 年明け直ぐの一月一日に、毎年、行われて居る新春パーティーの開催についても、全て、見合わせたのだ。


云わば…。
道明寺家の面々は、『喪』に服して居たのだ。



そして、ここ最近の司の『Birthday Party』は、つくしと結婚した年から、執り行って来なかったのだ。


何故なら…。
司は、つくしと再会する少し前に、自身の記憶が戻って居たから…だったのだ。


だからだったのだ。
通例通り、此の年の司の『Birthday Party』自体、執り行う事は無かったのだ。


そして、其れだけでは無く…。
世間で言う所のイベント事自体も、『喪』に服して居るという理由で、道明寺家として、此の年のみ、一切、スルーして居たのだった。



そして、其の年の3月の春分の日には、司の『Family』だけで、タマのお墓参りに出掛けたのだ。
実は、此の日は、春の彼岸の中日だったのだ。


なので、其の年から、毎年、3月の春分の日に、司とつくしは、タマのお墓参りに出掛ける様に成ったのだった。



そして、夏に成り、お盆の時期と成ったのだ。


云わば…。
此の年の『タマ』にとっては、『初盆』と成るのだ。


だからだったのだろう。
司は、自身の姉で在る 椿にも連絡を入れて、タマの『初盆』の日には、日本に帰国する様に伝えて居たのだ。


そして、其の日の道明寺家の面々は、タマの『初盆』の法要を終えた後…。
其のまま、タマのお墓参りにも、出掛けたのだ。
お盆参り(お墓参り)の為に…。



そして、其の日から、約一か月後…。
また、お彼岸の時期が、遣って来たのだ。
其れは、秋の彼岸だったのだ。


だからだったのだ。
道明寺家では、毎年、9月の秋分の日の秋の彼岸の中日に、タマのお墓参りの為、家族で出掛ける事と決めたのだった。



実は、司とつくしの娘で在る あやめが、何故、(タマの為に)お墓参りするのか?
まだまだ、理解出来て居なかったのだ。
今のあやめには、幼過ぎて、仕方無いと言えたのだが…。


だからだったのだ。
司は、自身の娘で在る あやめに、教えて居たのだ。


「タマは、此処(タマのお墓)で、寝てるんだ。
 タマは、何時でも、あやめの事を、見てくれて居るんだよ。」と…。


だが、其れでも、此の時のあやめは、自身の父親で在る 司の言って居る事が、未だ、理解出来ず、首を傾げて居たのだ。


だからだったのだろう。
此の時のつくしは、そんなあやめの様子を見て居て、思って居たのだ。


“其の内、あやめにも、分かる時が来るわよね。”と…。



という訳で…。
こうして、道明寺家の毎年のルーティンが、出来上がって行ったのだった。



fin

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