tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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七草粥【会いたい】…<つかつく>  番外編




1月7日…七草の日
(1月7日は、日本の年中行事で在る 五節句の一つ 『人日(じんじつ)』の節句…。
  また、1月7日とは、『七日正月(なぬかしょうがつ)』共、言うとの事…。)



<此の二次小説『七草粥【会いたい】…<つかつく>  番外編』は、『1月7日』に投稿す
 る予定だったのですが、1月7日に投稿する事が出来ず(間に合わず)、1月8日に投稿致し
 て折ります事をお詫び申し上げます。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



【『七草粥【会いたい】…<つかつく>  番外編』のお話しは、先ずは、ひなが司の実子
 (娘)として、『道明寺ひな』と成った頃からのお話し…。】


ひなは、『道明寺ひな』と成った翌年の1月1日の正月に或る計画を立てるのだった。



実は、ひなは、毎年 1月7日の朝に、『七草粥』を食べる習慣が日本には存在するという事を、自身の母親で在る つくしから教わって居たのだ。


そうなのだった。
日本には、1月7日の朝に、春の七草を入れたお粥を食べて無病息災を願う風習が在るのだ。
其れが、『七草粥』…だったのだ。


実は、其れだけでは無く、ひなは、自身の母親で在る つくしから日本の年中行事について、色々と話しを聞き、教えられて来たのだった。


だからだったのだ。
ひなは、自身の母親で在る つくしが亡き後も、そして、また、自身の祖父母が亡き後も、そんな自身の母親で在る つくしの想いを受け継ぎ、毎年 1月7日の朝に、自身の母親で在る つくしから教わった様に『七草粥』を作り、自身の叔父で在る 進と一緒に食してから学校に向かって居たのだ。



だからだったのだろう。
此の時のひなは、考えたのだった。


“今の私が『道明寺ひな』と成ったからと言って、ママから教わった事を、此処で止めても
 良いのだろうか?”と…。


だからだったのだ。
そんな風に考えた此の時のひなは、自身が『道明寺ひな』と成った翌年の1月1日の正月の朝に、タマに或る相談をするのだった。


「ママに教わった『七草粥』を私が作ってパパに食べて貰いたいんですけど…。
 其れって、可能ですか?」と…。


だからだったのだろう。
タマは、自身の両手を叩いて、喜んで居たのだ。


「其れは、良いさね。
 是非共、そうして差し上げて下さいまし…よ。
 シェフには、タマの方からそう報告して置くよ。」と…。


勿論、タマからそんな風に言って貰えたひなは、嬉しく成り、タマにお礼の言葉を伝えるのだった。


「タマさん…有難う御座います。
 じゃあ、シェフに言って置いて下さい。
 “1月6日の夜からキッチンを使わせて貰いたい!”って…。」と、付け加え乍ら…。


だからだったのだ。
タマも、にこにこ顔と成り、「相分かったよ。」と、ひなに返答するのだった。


だからだったのだろう。
此の時のひなは、1月1日の正月に或る計画を立てて居たという訳…だったのだ。



そして、其の後のひなは、1月6日の夜に、こっそりと、道明寺邸内に在る キッチンに向かい、『七草粥』の出汁を作り始めて居たのだった。
勿論、白米を入れるのは、翌日の1月7日の朝にした事は言うまでも無かったのだった。


そして、道明寺邸内に在る キッチンにて、ひなが『七草粥』の出汁を作り始めた時には、ひなの傍らにタマ と 道明寺家のシェフが居たのだった。


何故、ひなの傍らにタマ と 道明寺家のシェフが居たのかと言うと…。
ひなに何か有っては困るという事も有ったのだが、ひなが自身の母親で在る つくしから教わったという『七草粥』の作り方を見て視たかったという事も有ったから…だったのだ。



そして、1月7日の朝、道明寺邸内に在る ダイニングテーブルの上には、勿論の様に、1月6日の夜からひなが作った『七草粥』が上って居たのだった。


其処で、『七草粥』を食して居たひなの叔父で在る 進は、一瞬、“うん…⁉”と、成って居た事は、事実…だったのだ。


何故なら…。
此れ迄、進が食して来た馴染みの在る 『七草粥』…だったからなのだ。


だからこそ…。
此の時の進は、“うん…⁉”と、成って居たのだろう。


ところが、司は、自身の愛娘で在る ひなが作ったのだと言う事を知らずに、自身の愛娘で在る ひなが作った『七草粥』を食して視て、違和感を感じて居た事は、事実…だったのだ。


何故なら…。
道明寺邸のシェアは、此れ迄、誰とも入れ替わった事が無く、長らく、道明寺邸にて、同じ『シェフ』が道明寺家のシェフを努めて来たのだ。


しかも、普段、余り食に興味の無い司でも、此れ迄の味との違いが分かる位に、自身の愛娘で在る ひなが作った『七草粥』の味は違って居たのだった。


だからだったのだろう。
司も、一口食しただけで、何時(いつ)もの『七草粥』との違いが分かったのだった。


だからこそ…。
此の時の司は、道明寺邸内に在る ダイニングの中に居た道明寺家のシェフを呼び、訊き始めるのだった。


「シェフは、まだ、其処に居るのか?
 此の『七草粥』は、何時(いつ)ものと味が違う様に思うが、一体、誰が作ったん
 だ?」と…。


実は、道明寺家のシェフは、今や、世田谷の道明寺邸の当主と成った 司から声が掛かる事を想定して、未だ、道明寺邸内に在る ダイニングの中に居たのだった。



其処で、此の時のひなは、自身の父親で在る 司からのそんな話しを聞いて、実は、渋い顔付きに成って居たのだった。


というのか?
一瞬、道明寺邸内に在る ダイニングの中が緊張感に包まれた様な状況と成って居たのだった。
だが、そんな状況を打破したのは、進…だったのだ。


「此れは、ひなが作った『七草粥』だよね?」と…。


だからだったのだ。
此の時のひなは、“やっぱり、進叔父さんだよね。”と、思い乍らも、頷いて魅せて居たのだった。


「うん、何時(いつ)もの様に、ママに教えて貰った『七草粥』を私が作って視たの。」と…。


だが、そんな話しを自身の愛娘で在る ひなから聞いた此の時の司は、苦笑いと共に、道明寺家のシェフの方を向いてシェフに詫びを入れるのだった。


「申し訳無い。」と…。


勿論、道明寺家のシェフは、今や、世田谷の道明寺邸の当主と成った 司に、「滅相も御座いません。」と、そう伝え乍らも、其の場から退席したのだった。



勿論、此の時の司は、道明寺家のシェフに詫びを入れたのだが、自身の愛娘で在る ひなの顔を見る事が出来ずに居たのだった。


何故なら…。
此の時の司は、此の年の『七草粥』を、まさか、自身の愛娘で在る ひなが作ったとは思わず、道明寺家のシェフに訊いてしまって居たのだ。



だが、此の時のひなは、ひなで、“今年も上手く作れたと思ったんだけど、パパには美味しく無かったのかなぁ~⁉”と、返って心配に成り、自身の父親で在る 司に訊くのだった。


「私にとっては、今回も上手く作れたと思ったんだけど、パパには美味しく無かった?
 やっぱり、パパは、普段から食べ慣れて居るシェフが作った『七草粥』の方が良かった
 のかなぁ~⁉」と…。


其処で、司は、自身の愛娘で在る ひなを傷付けてしまったと思い、言い訳では無いのだが、必死に話しし始めるのだった。


「否、そんな事はねぇぞ。
 何時(いつ)もと違う味だったから、シェフに訊いて視ただけだ。
 勘違いして悪かった。」と、ひなに謝りを入れ乍ら…。


だからだったのだろう。
此の時のひなは、自身の父親で在る 司からのそんな返答の言葉を聞き、安心したかの様に、話しし始めるのだった。


「そう何だ。
 だったら、良かった。
 実は、今回、私が作った此の『七草粥』は、私が小学3年生に成った頃に、ママから教
 わった『七草粥』…何だぁ~。
 “牧野家の『七草粥』の味だよ。”って…。
 だから、パパにも食べて欲しくて、実は、タマさんに頼んで、今年は、私に作らせて貰っ
 たの。」と…。


だからだったのかも知れない。
其の後の司は、「そうだったんか?」と、言い乍らも、涙を浮かべて食して居たのだった。
そして、其の後、食べ終えた司は、自身の愛娘で在る ひなに頼むのだった。


「此れからも、毎年、ひなが牧野家の『七草粥』を作って、俺にも食べさせてくれ‼」と…。


だからだったのだ。
此の時のひなは、自身の父親で在る 司からのそんな要望を嬉しく思い、「うん、分かった。」と、言い乍ら、自身の父親で在る 司と約束を交わすのだった。


だからだったのだろう。
毎年 1月7日の道明寺家の『七草粥』は、此の年を境に、ひなが作る 牧野家の味と成ったのだった。
勿論、進も、其の事を喜んで居たのだった。



だが、自身の愛娘で在る ひなが自身の恋人で在る 葉山コンツェルンの御曹司でも在り、副社長でも在る 葉山龍介と付き合う様に成った翌年の1月7日の朝起きた時の司は、思って居たのだった。


“もしかしたら、今年の『七草粥』は、ひなが作ったんじゃ無くて、シェフが作ったのか
 もなぁ~。”と、独り言ちる(ひとりごちる)かの様に…。


何故なら…。
此の年の1月7日は、土曜日…だったのだ。
しかも、1月7日が土曜日だという事は、1月8日は日曜日で、そして、1月9日は『成人の日』で祝日なのだ。
と言う事は、世間的に云えば、1月7日~1月9日は、三連休と成るのだ。


だからだったのだ。
自身の父親で在る 司から、既に、黙認された形と成って居たひな と 其の恋人で在る 葉山コンツェルンの御曹司でも在り、副社長でも在る 葉山龍介…成らば、当然、“(其の三連休を)一緒に過ごしたい‼”と、考えたとしても、何等不思議な事では無かったのだった。


だからだったのかも知れない。
此の年の司は、そんな風に考えてしまったのだろう。



ところが、ひなには分かって居たのだった。


“もし、私がママから教わった『七草粥』を作らずに出掛けてしまったら、きっと、パパ
 は、がっかりするんだろうなぁ~。”と…。


だからだったのだ。
此の時のひなは、此れ迄と同様に、毎年、自身が作って来た様に、1月6日の夜の内に、『七草粥』の出汁を作って置き、1月7日の朝に、『七草粥』の出汁に白米を入れて煮込んで貰う様に、シェフに頼んで置いたのだった。


そうすれば、態々、自身の父親で在る 司が起きる時間迄、(道明寺)邸に居なくても済むと、ひなは考えたのだった。


だからだったのだ。
そんな風に、勝手に諦めて居た司は、休日だった事も有り、態と、遅めに起きて、道明寺邸内に在る ダイニングに向かって居たのだった。


だが、此の時の司にとっては、予想と反して、此の年の司が食した『七草粥』も、やはり、自身の妻で在る つくしが自身達の愛娘で在る ひなに教えて置いた『七草粥』…だったのだ。


だからだったのかも知れない。
此の時の司は、自身の愛娘で在る ひなから忘れられて居なかった事を嬉しく思ったのか?
涙を浮かべ乍ら、ひなが作った『七草粥』を食して居たのだった。


もし、此の場にタマが居たのなら、きっと、司は言われて居た事だろう。


「一体、何に対して、泣き乍ら『七草粥』を食べて居るんだい⁉」と、嫌味気味に…。


だが、そう言い乍らも、司が涙を浮かべ乍ら食して居た理由(わけ)は、きっと、タマにも分かり切って居た事だろう。



PS.


実は、初めて、自身の愛娘で在る ひなが作った『七草粥』を食した司は、ひなが(ひなの)自室に戻った後、タマに声を掛けて居たのだった。


「ひなが作った『七草粥』をつくしにも食べさせて遣りてぇから…よ。
 悪ぃが、少しで良いから、皿に装って(よそって)くれるか?
 で、此の事は、ひなに言うなよ。
 俺 と つくしの二人だけで楽しみてぇから…よ。」と…。


という訳で、『1月7日』に成ると、其の年から毎年の様に、つくしの遺影の前には、『七草粥』が装われた(よそわれた)お椀が在ったのだった。


此の時の司は、何時(いつ)も、毎年の様に、「ひなが作った『七草粥』だぞ‼」と、言い乍ら、つくしの遺影の前にお供えして居たのだった。


そして、其の後の司は、自身 と つくしの二人だけの世界に浸って居たのだった。



fin



<此の二次小説『七草粥【会いたい】…<つかつく>  番外編』の中の一部の文面の中
 に、不快に思われるやも知れない言葉が入って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>

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