tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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昔からある場所…<つかつく>  2.




<司side>


俺は、飛んでもねぇ所からの連絡に仰天した。


俺は、多方面に渡って、牧野の情報をもらえる様に、連絡して於いた。


「此方、英徳学園の警備員室です。
 道明寺司様より、申し出のございましたお探し人の『牧野つくし』さんと良く似られた
 女性が、先程、英徳学園にお見えに成ったと、警備員より、報告がございました。
 しかしながら、お預かりしました名刺には、別の記載名がございました。
 しかしながら、牧野つくしさんが、此の学園に在籍して居られました頃より勤務してお
 ります警備員に寄りますと、牧野つくしさんだと確信が持てたという事で、中に通した
 との事でございました。
 申し上げ難いのでございますが…。
 実は、牧野つくしさんは、後にも先にも、『英徳のジャンヌ・ダルク』として、英徳学
 園に置いては、有名な方でございましたので…。
 また、此の警備員は、牧野つくしさんの声を覚えて居たとの報告を受けております。
 道明寺様、如何致しますか?」
「………」


俺は、英徳学園の警備員の言葉(『英徳のジャンヌ・ダルク』と言う言葉)に絶句しながらも…。
俺は、TELを受けながら、既に、英徳学園に向かう準備をしていた。


「牧野つくしは、今は、まだ、英徳学園の中に居るのか?」
「左様でございます。」
「直ぐに行く。
 牧野を待たせて於いてくれ‼」
「賜わりました。」


で、俺が、英徳学園に着いた時には、もう、牧野は、其処(英徳学園)には、居なかった。


警備員室から、連絡を受けた警備員が言うには、牧野は、もう既に、英徳学園を後にしていたとの事だった。


「警備員室から、連絡を受けました時には、既に、牧野様は、リムジンに乗車した後でご
 ざいました。」


俺は、其の警備員に訊いて居た。


「牧野は、リムジンに乗り込んだのか?」
「はい、左様でございます。
 SPに囲まれてお出ででございましたので…。」


俺は、仰天した。


何故、『ボンビー牧野』と、誰からも、云わ占めたあいつが、『リムジン』何だ?
しかも、SPって…?
如何言う事だ?


俺は、隣に居た西田に調べる様に、伝えていた。



だが、牧野家の存在自体が抹消されているとの情報の事実に、驚愕するしか出来ねぇ俺が居たのは、言うまでも無かった。


唯、収穫だったのは、牧野の生存確認が出来た事だった。


俺は、“牧野が、何処に隠れ居ても、ぜってぇ、探し出してみせる‼”と、誓っていた。



<つくしside>


私は、乙和カンパニーの孫娘 乙和つくし 25歳。


乙和カンパニーは、お祖父様の代に創業された、1代企業で在る。


その為、家出同然で家を出たパパを許す訳等無かったお祖父様は、パパを勘当した。


パパが、家出した後に、パパとママは、偶然、知り合ったらしい。


公園でベンチに座って、途方に暮れていたパパを、何故か見捨てる事が出来ず、アパートに連れて帰ったママは、パパの世話をして居たらしい。


その内、パパは、ママのアパートに居着いてしまい、ママが、私を身籠った事で、ママの姓にパパが入り、パパとママは、入籍したらしい。


ママから聞いた話に寄ると…。
パパが、本当は、乙和カンパニーの息子で在るという事実を知ったのは、入籍する時だったらしい。


実は、『牧野』姓は、ママの実家の姓だった。



その後、パパは、一般企業に就職したらしいが…。
元々、坊っちゃん育ちのパパは、企業体質に馴染めず、何を遣っても、上手く行く訳が無かったらしい。



だから、“上昇志向の強いママは、いつまで経っても、平社員のままのそんなパパでも、見捨てる事が出来なかったんだ‼”と、今に成れば、分かった私だった。



で、全ての事情を知ったママは、産まれて来た私が、将来、困らなくても良い様に、“セレブ学校に入れたい‼と、私が産まれて来た時に思った。”と、聞かされた。


私は、“成程な‼”と、思うしかなかった。


で、私が、道明寺と付き合い出した時も、“やっぱり、血筋なのか⁉”と、ママは、思ったらしい。



で、牧野家自体の生活も、困窮し始めて居た中…。


道明寺からの連絡も、途絶え始めた頃…。
実は、道明寺が、私を迎えに来てくれるという期限を付けた4年に、後、数ヶ月という頃…だった。


そんな頃に、乙和家から、連絡が来た。


突然、お祖父様の側近で在る第1秘書が、牧野家のアパートに、遣って来た。


「晴夫様…。
 会長が戻って来る様にとの仰せでございます。
 どうぞ、このまま、お戻り下さいませ。」


パパは、難色を示し始めた。


「私には、家族が居ます。
 家族とは、離れません。」


私は、パパが、初めて格好良く見えた。


「ご家族もご一緒にとの事でございます。
 会長は、“将来的には、お孫様で在る つくし様と進様に、会社を継いでもらいた
 い。”とのお考えが有る様でございます。
 今から、英才教育を受けて頂き、将来に備えて頂きたく存じます。」


パパは、ママと私と進の顔色をじーっと、見詰めて来た。


ママが、パパに言った一言で、私達の行く末が決まった様なモノだった。


「パパ…?
 親孝行は、親が居る時にしか出来ないのよ。
 将来のつくしと進の為よ‼」


“流石、ママの言葉だ‼”と、私は、思った。


私と進は、パパが、乙和カンパニーの息子だという事を知らされて居なかったので、驚愕した事は、言うまでも無かった。


実は、パパは、家出をした時点で…。
どんなに生活が困窮し様とも、乙和家には、戻る気持ち等、初めから、無かったそうだ。


だからだったのだろうか?
パパの話しを聞いて居て…。
私は、此の時、初めて、パパとママの言動が、何もかも合致して、スッキリした様な気分だった事を、今でも、覚えて居る。


丁度、其の頃、道明寺からの連絡も途絶え始めて、道明寺が、何をしているのかも分からなく成って居た頃だったので…。


“何もかも、クリアにして、再出発するのも悪く無いか?”と、思えた事は、その時の私には言うまでも無かった。


そして、私は、道明寺が、4年分の授業料を払ってもらって居るにも拘らず、英徳大学を自主退学して、残りの授業料は、道明寺に返還する様、英徳学園側に申し入れていた。


その後、如何成ったかは、私には知る由も無いのだが…。



渡英する直前の私は、英徳大学時代も、バイトを掛け持ちでしていたが…。
割の良い短期のバイトをチョイスして居た事も有り、丁度、次のバイト先を探す間(はざま)だったのだ。


高校の頃にお世話に成って居た、団子屋のバイトは、高校を卒業すると同時に、訳を話しして、辞めていた。


其の当時、パパが、リストラに遭って、また、無職に成って居たからだった。



で、私は、イギリスに渡英して、イギリスの大学に編入して、卒業した。
進も、イギリスの高校・大学に編入して、進は、大学院まで、進んで卒業した。


勿論、アッパークラスが通うセレブ学校だった事は、言うまでも無いのだが…。
で、邸では、英才教育を受けて居た私と進だった。


私自身は、牧野家時代とは、違う意味で、忙しい毎日を送って居た。


そして、私は、大学卒業後、乙和カンパニーに就職した。



その後、パパは、お祖父様の第2秘書と成り、ママは、専業主婦(?)に成って居た。


ママは、所謂、お祖母様のお話し相手をして居たのだった。

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