Love is the mystery~私を呼ぶの~…<つかつく> 4.
<つくしside>
花沢類が日本に帰国して帰って行った数日後には、滋さんと桜子が、私が間借りして居る花沢類の(NY)のマンションに到着していた。
しかも、滋さんと桜子のNY渡米は、花沢類に頼まれたという『私(つくし)size』の下着を持参してのNY渡米だった事は、言うまでも無い。
此れには、私自身、驚愕で、言葉にも成らなかった。
だが、訊かないといけない事はきちんと、訊こうと思って居た私だった。
何故なら、“有り得ないっつーの‼”と、言いたく成る様な、量とデザインの下着だったから…だ。
ううん、其れ処か?
“此れ、要る…?”と、訴えたく成る様な、代物まで有ったのだ‼”
此れが、訊かずに居られるのだろうか?
だが、滋さんと桜子は、何食わぬ顔で、飄々としていた。
「ちょっと、幾ら何でも、此の量は、多過ぎでしょ?」
桜子は、間髪入れずに、返答して来た。
「何を言ってるんですか?
NYに滞在為さるんですよね?
多いに越した事は有りません。」
私は、桜子からの返答に、呆れるしかなかった。
だから、私は、溜息が、先ず、出てしまった。
「はぁ~⤵。
でも、幾ら何でも、此のセクシーな下着は要らないでしょ?」
今度は、其の事に関して、滋さんが言って来た。
「何を言ってるの?
司と何時、再会するか?
そんな事、分からないでしょ‼
司も、NYで学生してんだから…。
だ・か・ら…。
持ってて、損はないから…ね。」
そんな滋さんの解釈に、私は、溜息しか出なかった。
「はぁ~⤵。」と…。
其処に、桜子が、神妙な顔付きに成って、私に言葉を継げて来た。
「先輩…。
先輩は、道明寺さんの近くに居る事に成るんですよね⁉
先輩、後悔しない様に、毎日を過ごして下さいね。」
私は、桜子からのエールとも取れる言葉に、私は、お礼しか、桜子に、返せなかった。
「有難う、桜子…‼
私…。
頑張るね。」
其処に、桜子は、私にハグを交わして来た。
今の此の場の空気感は、ふわっとした、優しさに包まれている筈…なのだ。
だが、其処は、滋さん…。
其処で、空気を読まない滋さんが、此の場の空気感を崩す様な言葉を継げて来た。
「其れとね、つくし…。
ルームウェアとか、学校行く時の服とかは、こっち(NY)で、買った方が良いって事に
成ってね。
まだ、買って無いの。
今から、買いに行くよ。
善は急げよ、つくし…‼」
そう言い乍らも、滋さんは、私を引き摺る様に連れ出し、私と滋さんと桜子の女子3人は、マンションを出たのだ。
桜子は、私の横で、呆れていたが…。
で、私達 3人の女子+私の家庭教師(SP)の女子達は、マンハッタンの街に消えて行ったのだ。
此の時の滋さんと桜子は、既に、花沢類から聞かされて、私の家庭教師(SP)の件は、知っていたらしい。
知らぬは、此の頃の私だけだったらしい。
そして、NYを満喫した滋さんと桜子が、日本に帰国してからの私は、また、静かな日々を送って居たのだった。
実は、あの後の私と滋さんと桜子は、NYで毎日を満喫していた。
私は、滋さんと桜子に、色々な所に連れて行ってもらって、色々な場所を案内してもらって居た。
多分、滋さんと桜子は、私がこっち(NY)で滞在の間、“生活に困らない様に…。”という、“滋さんと桜子の心遣いだ。”と、私は、思っていた。
私は、花沢類に、滋さんと桜子に感謝して居た。
“ほんと、頼りに成る親友達だよ‼”と、私は、涙が出て止まらなかった。
勿論、滋さんと桜子が、帰国してからだったけど…。
そして、もう直ぐ、NYでの学校が始まる。
今は、家庭教師(SP)に就いて、英会話を勉強中の私…。
かなり、上達して、私の日常会話は、ほぼネイティブに通じる処まで出来て居た様子だった。
私の家庭教師(SP)が、そう言ってくれていた。
私の上達振りは、私の家庭教師(SP)も、舌を巻く程の上達振りだったらしい。
其の事を、日本に居る花沢類にも、私の家庭教師(SP)から報告が入って居たらしく、“流石、才女の牧野だ‼”と、花沢類から、F2&T3にも、報告していたらしい。
其の時の事を、後で、花沢類から聞かされた私だった。
其の時は、ちょっと、照れ臭かったけど…。
其れに、後(のち)には、花沢類から、其の時の話しを聞かされていた私は…。
“此れで、いつ、学校が始まっても、大丈夫ですよ‼”と、私の家庭教師(SP)からお墨付きをもらって居た事を思い出していた。
此の頃の私は、何も、気付かずに居たのだが…。
実は、此の私の留学の話しには、絡繰り(仕掛け)が有ったのだ。
【つくしの留学話に関しての絡繰り(仕掛け)の訳…。】
類が、つくしを追って、NYに渡米して来る前…。
F3&桜子は、4月から、NYの提携学校と交換留学生の話しが有る事を聞き付けた。
だから、つくしを推薦したF3&桜子だった。
つくしの成績で、学園長から、留学の承認が出た。
そして、其の事を確認したと同時に、類が、つくしを追って、NYに渡米後…。
桜子が、つくしに連絡をしたという訳だった。
だから、類がNYに渡米した頃には、類は、知って居たという事に成る。
其の事を数年経って知ったつくしは、皆に感謝した事は言うまでも無かった。
<つくしside>
そして、NYでの学校生活が始まった私だった。
学校生活が始まっても、花沢類が、花沢家のSPを家庭教師として私に就けてくれて居た方の事を、未だに、家庭教師として、思って居る私だった。
日本では、F3&T2は、“何時に成ったら、牧野(つくし;先輩)は、SPと認識するのだろうか?”と、誰もが思う処だったらしい。
此処でも、“『鈍感 牧野』を発揮して居る。”と、F3&T2からは、認識されて居たらしい。
しかも、F2(類以外)&T2は、私のNY生活を危惧して居たらしい。
西門さんと美作さんに関しては…酷いモノで在る。
「ほんとに、牧野だけにして、大丈夫か?
何処かで、ズッコケて居るかも…な‼」と…。
だが、花沢類は、一言、言ってくれていたらしい。
「大丈夫だよ‼」と…。
まあ、私は、『雑草のつくし』だから…ね。
其れからの私は、NYの日本で言う処の高校を卒業した。
本来の私は、交換留学生として、NYの高校に通学して居たので、高校を卒業すれば、本当は、日本に帰国するべきだったのだが…。
私は、そのまま、日本の留学生の為の奨学金を得て、NYの大学に入学した。
そして、スキップして、3年で、大学を卒業した。
勿論、私は、MBAを取得して卒業した。
そして、其の後の私は、嘗て、セントラルパークで知り合ったキア~イのおじさんこと、クラウンCEOの経営企業で在る クラウン・コーポレーションに入社したのだった。