遅れて来た初恋…<ALL CP> 1.
<此の二次小説『遅れて来た初恋…<つかつく>・<総優> 1.』は、一部の言葉
に、不快に成られるやも知れない言葉が入って居ます。
二次小説ネタとして外せない箇所に成りますので、了承の程、宜しくお願い申し上げま
す。>
【プロローグ】
つくしが、高校1年の時に、パパが、会社から、リストラされた。
パパは、営業向きでは無かったのだが…。
異動させられ、挙句に、リストラされてしまったのだ。
パパは、会社を辞める羽目に成り、退職を余儀なくされていた。
だが、パパが営業を担当していた中小企業の社長より、呼び出しを受けたパパは、いそいそと、其の中小企業の工場に出向いて居た。
其処で、社長より、飛んでも無い事を切り出されていたパパだった。
「牧野君…。
君は、会社を辞めさせられたんだよね?
じゃあ、起死回生を狙って視ないかい?
実は、私には、子供が居らず、ご存知の通り、後継者が居ない。
此のまま、会社を畳む事も考えたんだが…。
従業員の事を考えると、其れは出来ない。
じゃあ、引き継いでくれる方を探そうとしたんだが…。
こんな弱小の会社を、“引き継いでも良い。”と、言ってくれる方が、現れなかったんだ
よ。
其処で…だ。
“君の様なアイデアマンが、起死回生を狙っても、良いんじゃないか?”と、思えたんだ
よ。
実は、私も…ね。
君のアイデアで、起死回生を狙って視たんだが…。
如何も、上手くいかず…。
其れに、年老いた私に、協力してくれる方が、見付からなかったんだよ。
君が、引き継いでくれるなら、経営に関しては、私も、協力するよ。
如何だろうか?
考えて視てくれないかい?」
パパは、其の場で、即答が出来なかったのだ。
何故なら、牧野家の実権は、ママが握って居るのだから…。
だから、パパも、云えた言葉だったのかも知れないのだ。
「妻と、相談してからでも、宜しかったですか?」
社長は、相談してくれるだけでも、嬉しかったのだ。
だから、少し、期待感を持ってしまった社長だったのだ。
「良い返事を待って居るよ。」
で、パパは、ママに、相談した結果…。
パパは、社長から会社を引き継ぎ、『中小企業の社長さん』に成ったのだ。
そして、パパが、引き継いだ企業の企業名を『牧野製作所』と、改める事に成ったのだった。
勿論、前 社長の了承を得た事は言うまでも無い。
そして、其れまでの牧野家の住まいは、ボロアパートだったのだが…。
パパが、引き継いだ会社の工場の2Fに在る 事務所 兼 自宅と成って居る工場に、牧野家の家族で、移り住んだのだった。
『牧野製作所』は、前身で在る 機械等の部品を制作・作成・製造する会社を引き継いだ形と成って居たのだ。
パパのアイデアで、『制作・作成・製造』した其の部品が、何故か?
海外で、取り上げられ、『牧野製作所』は、一気に、有名と成った。
なので、ママは、将来に備えて、其の部品の特許出願申請を行った。
勿論、ママは、海外の特許出願申請を行った事も言うまでも無い。
其の甲斐が有ってか?
『牧野製作所』は、「契約を結びたい。」と、日本企業だけで無く、海外企業からも、オファーが有る程だったのだ。
実は、此のママの功績の陰には、つくしの弟の進が、絡んで居たのだった。
つくしの弟の進が、インターネットを使用して、売り込みを図って居たのだ。
なので、つくしの弟の進は、部品の特許出願申請を取る様に、ママを動かす事に成功していたのだった。
其れは、海外の特許出願申請を行う事も含めて、つくしの弟の進は、ママを動かして居たのだった。
つくしは、そんな弟の進に対して、思っていたのだ。
“恐れ入りました。”と…。
そして、其の後のパパの会社 『牧野製作所』が軌道に乗って来た事も有り、資金繰りも上手く『コト』が運んで居た事から…。
パパが引き継ぐ前の前身の会社の借金も返済完了していたのだ。
此れは、ママの功績に寄るモノだった。
其の後のパパも、どんどん、アイデアが膨らみ、自社で『制作・作成・製造』した部品を、どんどん、世に送り出していた。
其れは、進をも巻き込んだ事業だったのだ。
そんな事から、其の後のママは…。
工場の近くで、空き地に成って居た土地を購入して、5F建てのマンションを建てた。
そして、ママは、2~4Fまでを賃貸マンションとして貸出、マンション経営に乗り出し始めていた。
1F部分は、テナント入居用に、賃貸で貸し出す事にして居たのだった。
そして、牧野家の住居は、其のマンションの5F部分の1フロアーを住まいとしたのだ。
そして、工場も立て直しして、工場の2F部分を事務所と、社員寮としたのだった。
行き成り、つくしは、社長令嬢(?)と成った事で、ママからは、マナー講座を受ける様に、煩く言われていた。
また、『牧野製作所』と、お近付きに成りたい企業からの『party』の招待を受けたママは、つくしと進に、『party』の出席を煩く指示していたのだった。
特に、ママからのつくしへのプレッシャーは、半端無かったのだった。
そんなつくしは、『party』に出席する度に、思うのだった。
“『party』は、大っ嫌いだ‼”と…。
そして、つくしは、都立高校を卒業後…。
ママからのプレッシャーと共に、英徳大学に入学する事に成ったのだった。
つくしは、英徳大学に入学してから分かった事が有ったのだ。
英徳大学に在籍して居る学生は、会社経営のご子息 及び ご令嬢が、多い中…。
牧野家は、元々、一般家庭出身…。
という寄り、つくしは、何方かというと…。
一般庶民…。
そんなつくしが、行き成り、会社経営の娘に成ったからと言って…。
産まれも育ちも、元々、セレブの人達には、馴染める筈等無いのだ。
一人浮いて居る様な感じで、英徳学園には、居心地の悪さを感じるつくしだった事は言うまでも無い。
仕方なく、一人で居る事が多いつくしだったのだ。
元々、友達の多いつくし…。
誰とでも、直ぐ、友達に慣れる程…。
気さくさが売りのつくしだったのだ。
所謂、つくしは、『人たらし』だったのだ。
だからこそ、つくしは、そう思ってしまったのかも知れない。
“何で、こんな大学に入学してしまったのよ~。”と…。
また、そんな風に、更に、叫びたい心境のつくしだった事は言うまでも無かったのだった。