tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

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自惚れ~うぬぼれ~…<つかつく>  85.



【『つくしのBirthday【自惚れ~うぬぼれ~】…<つかつく>  番外編④』と『つくしの
 Birthday【自惚れ~うぬぼれ~】…<つかつく>  番外編⑤』のエピローグ】


司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、タマからの連絡に寄り、つくしの記憶が戻った事を知ったのだ。


だからだったのだろう。
此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の思いは、複雑だったのだ。


自身の息子で在る 司にとって、つくしの記憶が戻った事は、とても、喜ばしく、歓迎すべき事案では有ったのだ。


だが、いざ、其の事を、自身に置き替えた時…とても、喜ばしい事案とは言えなかったのだ。


何故なら…。
司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓自身、高等部当時の司とつくしの付き合いを、散々、邪魔して来た経緯が有るのだ。


そして、今度は、(司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓)自身が、つくしの事を認め始めると、記憶を失ってしまったつくしの在籍学部迄、操作したのだ。


だからだったのだろう。
“記憶の戻ったつくしさんが、此の件に関して、黙って居る訳が、無いでしょうね。”と、思って居た程だったのだ。


だからこそ…。
此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、考えて居たのだ。


“一度、つくしさんとは、話しをし無くてはいけないだろう。”と…。



そして、つくしも、また、タマから、「正月三が日中に、奥様が、日本に帰国為さるそうだよ。」と、聞いて、自身の在籍学部を、勝手に、転部させられた事について、思って居たのだ。


“此のチャンスを利用しない手は無い。”と…。



実は、在籍学部を、転部させられて居た事を知った此の時のつくしは、考えて居た事が有ったのだ。


“一度、お義母様と、お会いして、お話しする必要が有りそうだね。”と…。


だからこそ…。
そう思って居た此の時のつくしは、自身の記憶が戻った事で、タマに、訊ねて居たのだ。


何故なら…。
此の時のつくしは、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓と向き合う事に決めて居たから…だったのだ。


だからこそ…。
此の時のつくしは、タマに、訊けた言葉だったのだろう。


「お義母様は、何時(いつ)、日本に帰国為さるんでしょうね?」と…。


だからだったのだろう。
つくしから、そんな風に訊かれて居たタマは、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の日本への帰国日について、つくしに、話しして居たという訳…だったのだ。


そして、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、正月三が日で在る 1月3日に、日本に帰国して帰って来たという訳…だったのだった。



実は、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、NYでの1月1日に、新年の挨拶廻りと言うべき、『新春パーティー』に出席して居たのだ。
梯子するかの如く…。


なので、此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の日本への帰国日は、早くても、『1月3日』と成って居たのだ。


其処で、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の日本への帰国を、タマから聞いた此の時のつくしは、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓が、道明寺邸に帰って来る事を、心待ちにして居たのだ。



其の後、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓が、道明寺邸に到着してからの数十分後には、つくし自身、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓から、呼び出されて居たのだ。


“私(わたくし[司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓])の自室に来る様
 に…。”と…。


だからだったのだ。
タマから、其の事を聞いたつくしは、急いで、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の自室に向かって居たのだ。



実は、此の日の司は、執務が立て込んで居たのだ。


だからだったのだろう。
此の日の司の帰宅時間は、遅く成る様なスケジュールと成って居たのだ。


というのか?
司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、司の秘書で在る 西田に、そうスケジュール調整する様に、仕向けて居たのだ。


何故なら…。
此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、今後の為にも、つくしと、じっくり、話しして置きたかったのだ。
其の為には、司は、必要では無かったという訳…だったのだ。


もし、(司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓)自身とつくしとの間に、司が居れば、きっと、邪魔して来る事は言うまでも無かったのだ。


だからこそ…。
此の日の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓とつくしとの話し合いの中に、司は、必要無いと言えたのだ。



そして、つくしは、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の自室のドアの前に居たのだ。


其処で、ドアをノックしたつくしは、ドアの向こう側の部屋の中から聞こえて来た司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓からの「どうぞ。」と、言う言葉と共に、此の時のつくしは、「失礼します。」と、言って、部屋の中に入ったのだ。


其処で、先ず、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓から、つくしに、声を掛けたのだ。


「つくしさん…。
 此方に、お座りに成って…。」と、ソファを指差して居たのだ。


そして、つくしが、ソファに座った事を確認した司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、更に、つくしに、声を掛けたのだ。


「つくしさん…。
 ご無沙汰だったわね。
 タマから聞いたわ。
 つくしさんの記憶が戻ったそうね。
 良かったわね。
 司も、相当、喜んで居るそうね。
 タマが、言って居たわ。
 “つくしさん(つくし)の記憶が戻った事で、司(坊っちゃん)の顔付き迄、良く成った
  様だ(さね)。”と…。
 けれど…。
 つくしさんの記憶が戻った事で、私(わたくし)とつくしさんとの間には、解決し無けれ
 ば成らない事も有るでしょ‼
 だからこそ…。
 私(わたくし)は、日本に帰国して帰って来たのよ。
 つくしさんも、私(わたくし)に、言いたい事でも有るのかしら?
 言って視て頂戴‼」と…。


其処で、此の時のつくしは、そう言って来た司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓からの話しを聞き乍らも、理解して居たのだ。


“お義母様には、何もかも、承知して居るという事ね。”と…。



だからだったのだ。
そう理解した此の時のつくしは、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓に、話しを切り出し始めたのだ。


「そうですね。
 お義母様には、全て、お見通しの様ですね。
 では、お伺い致します。
 私が、英徳大学に進んだ時は、確か、法学部だった筈…。
 ですが、今の私は、経営学部…。
 此れは、一体、如何言う事でしょうか?」と…。


だからだったのだ。
こんな風に、つくしから話しを切り出された司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、つくしからそう訊かれる事は、実は、予期して居た事なので、即答し始めたのだ。


「其の当時は、そうするしか無いと、私(わたくし)が、判断したのよ。
 其の当時のつくしさんの記憶の中に居た高等部当時の司は、最低な男だったわ。
 だからこそ…。
 其の当時の司は、其の当時のつくしさんの状況を知って、憔悴し切って居たの。
 だからだったわ。
 私(わたくし)は、貴女を、転部させたのよ。
 そして、つくしさんが、弁護士と成って、司に就くんじゃ無くて、秘書として、司に就か
 せたかったのよ。
 何れにしても、つくしさんの就職場所は、『道明寺HD』よ‼
 優秀な貴女を、私(わたくし)が、手放す訳無いでしょ‼
 其れが、気に食わないと言うのなら…。
 (英徳)大学を卒業後…(英徳)大学院に進んで、法律の勉強でも為さる?
 其れでも、将来の貴女の就職場所は、『道明寺HD』よ‼
 其れで良いのなら、そう為さいな‼」と…。


だが、此の時のつくしは、覚悟を決めたかの様に、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓に、返答するのだった。


「いいえ。
 (英徳)大学を卒業したら、司さんの秘書として、公私共に仕えるつもりで居ます。
 勿論、公私混同する気は、毛頭有りませんけど…。」と…。


だからだったのだ。
此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、つくしに、自身の息子で在る 司の事を、頼むのだった。


「そうね、そうして頂戴‼
 だけど…。
 司は、そうはいかないと思うのよ。
 きっと、司は、自身の傍に、つくしさんが居れば、公私混同するに決まって居るわ。
 だからこそ…。
 貴女が、しっかり、そんな司を、管理して頂戴‼」と…。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、即答したのだ。


「はい、承知して折ります。」と…。


其処で、納得したかの様に、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、つくしに、頷くのだった。



其処で、此の時のつくしは、更に、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓に、お礼の言葉を告げ乍らも、訊き始めるのだった。


「私の幼馴染で親友の優紀の事ですが…有難う御座いました。
 ですが、花沢さんが、フランスに渡仏した事は、やはり、お義母様が、関わってお出でだ
 ったのでしょうか?」と…。


だからだったのだ。
“つくしさんは、記憶を取り戻した事で、色々な事が、点と点で結ばれたのだろう。”と、此の時の司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、理解したのだ。


という寄りも、実は、つくし自身、記憶を取り戻した際に、類のフランスへの渡仏の件を、気にして居たのだ。


だからだったのだ。
此の時のつくしは、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓に、訊けた言葉だったのだ。



其処で、(司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓)自身が、“何故、其の当時の類さんを、フランスに渡仏させたのか?”と、言う其の当時の経緯を、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、つくしに、話しし始めたのだ。


そして、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、そんな話しをし終えた後に、更に、つくしに、話しし始めるのだった。


「優紀さんの事は、私(わたくし)にも責任が有った訳だし…気に為さらないで…。
 でも、類さんの事をそうし無ければ、司の其の当時の精神は持たなかったと、思うわ。
 其の当時の司自身、つくしさんが、類さんに取られる事を、かなり、警戒して居たわ。
 という寄り、其の当時の司は、類さんに、つくしさんを取られると、思って居たみたいだ 
 ったし…。
 だから、其の当時の司は、執務に、集中し切れて居なかったのよ。
 だからこそ…。
 類さんをフランスに渡仏させる様に、類さんのお父様の孝(こう)さんにお願いしたの
 よ。
 だからこそ…。
 つくしさんが、司の傍に居なくても、其の当時の司は、NYでも、遣って来られたの
 よ。」と…。


だからだったのだろう。
司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓から、そんな話しを聞いて、此の時のつくしは、漸く、全てを、理解出来て居たのだった。



だからだったのだろう。
年が明けた後のつくしは、『卒論制作』に関して、本腰を入れて、熟す様に成って居たのだ。


だからだったのかも知れない。
桜子は、そんなつくしを見て居て、思って居たのだ。


“先輩は、きっと、道明寺さんのお母様から、全ての話しを聞かされた事で、蟠りが無く成
 って来たという事なのだろう。”と…。


何故なら…。
実は、此の時の桜子は、司の母親で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓の日本への帰国の件を、聞いて知って居たのだから…。



そして、其の後のつくしと桜子は、自身達のゼミ担当教授に卒論を提出して居たが、二度程の訂正を求められた後、漸く、提出出来て居たのだ。


実は、其の日は、司の誕生日に近い1月28日の事だったのだ。

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