tukatuku-inotiのブログ

花より男子の二次小説です。 cpはつかつく・総優・あき桜

PVアクセスランキング にほんブログ村

七五三~ひなの恋~【会いたい】…<つかつく>  番外編 ②




<此の二次小説『七五三~ひなの恋~【会いたい】…<つかつく>  番外編 ②』の文面
 の中に、現代に於いては相応しくない様な言葉 や 表現が入って折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>



此の時のひなは、葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介が運転する愛車の助手席に乗って居る時に、助手席の窓から見える或る風景を観て居たのだ。


其れは、『七五三』を迎えたで在ろう 子供を連れた仲睦まじい家族の様子…だったのだ。


だからだったのかも知れない。
此の時のひなは、思わず、独り言を口から出して居たのだろう。


「あっ、そうか。
 今月は、11月だもんね。
 今年も、『七五三』のシーズン…何だね。」と…。


だからだったのだろう。
葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、自身の愛車を運転し乍らも、そんなひなの独り言を聞いた事で、“『七五三』って、何だ…?”と、考えて居たのだった。


勿論、葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介自身、『七五三』という言葉は聞いた事は有ったのだが、『七五三』という物自体、知る由も無かったのだ。



実は、幼少期の頃からの葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介にとって、家族との年中行事こそ、価値の無いモノ…だったのだ。


何故なら…。
自身の両親で在る 葉山コンツェルン 社長 と 葉山夫人は、お互い、常に、海外を飛び回って居て、殆ど、日本に居ない状況…だったのだ。


其れに、自身の両親で在る 葉山コンツェルン 社長 と 葉山夫人とは、仲が良い様に見えても、実は、『政略結婚で在り、お互いの事を干渉する事はせず、お互いの事を束縛し合わない関係』…だったのだ。
だが、そう言えば、恰好は良いのだが、所謂、“本当に、夫婦なのだろうか?”と、ツッコミを入れたく成る様な夫婦関係…だったのだ。



そして、英徳高校時代の『牧野つくし』が出場した大会(『ティーン・オブ・ジャパン(TOJ)』)が催された同じ年の11月当時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、当然、其の当時は、5歳児だった訳なのだ。


と言う事は、其の当時、5歳児だった葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介の11月と云えば、当然の事乍ら、『七五三』を迎える筈の年齢だった訳なのだ。


だが、御多分に洩れず、其の当時の葉山コンツェルン 社長 と 葉山夫人が日本に居る事は、殆ど無く、其の当時の自身達の息子で在る筈の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介が、例え、其の当時、『七五三』を迎える様な年齢だったとしても、葉山コンツェルン 社長 と 葉山夫人にとって、『七五三』という行事ごと自体に感心は無く、寧ろ、自身達の息子の為に、日本に帰国して帰って来る事は無かったのだ。


と言う事は、5歳児だった其の当時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、勿論、世間的に云う所の『七五三』の行事ごとを両親と共に迎えて居なかったという訳…だったのだ。


だからこそ…。
例え、葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介が『七五三』について、何も知らなかったとしても、何ら可笑しく無いと云えたのだ。



だからだったのだろう。
寧ろ、其の当時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介が楽しかったと言える思い出とは、英徳高校時代の『牧野つくし』が出場した大会(『ティーン・オブ・ジャパン(TOJ)』)の審査員に成った事 と 其の大会(『ティーン・オブ・ジャパン(TOJ)』)の後のクリスマスの日に、お漏らしはしてしまったのだが、司 と つくしと一緒に行った動物園での思い出しか無かったのだった。


云わば…。
其れ位、幼少期の頃の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、世間一般的に云える家族との年中行事自体、自身の両親と共に一緒に時間を過ごして来なかったと云えたのだ。


だからこそ…。
此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介自身、『七五三』という物が、如何言う物で在るのか?
寧ろ、『七五三』に関してだけでは無く、全ての年中行事自体、何の記憶も無ければ、全く、其の意味も分かって居なかったのだ。 


なので、ひなのそんな独り言を聞いた事で、“『七五三』って、何だ…?”と、自身の頭の中で、『??』を浮かべ乍らも、考えて居たという訳…だったのだ。



だからだったのかも知れない。
此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、レストランに着いた時に、ひなに訊くのだった。


「さっき、ひなちゃんは、車の中から家族連れを見て居て、呟いて居ただろ?
 “『七五三』のシーズン…。”って…。
 『七五三』って、何の事だ…?」と…。


だからだったのだ。
此の時のひなは、葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介からのそんな言い分を聞いて居て、目を大きく見開いたまま、驚愕顔に成り、呆気に取られて居たのだった。


なので、此の時のひなは、世間的に云う所の『七五三』という行事が、如何言う行事ごとなのか?
葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介に話しして聞かせて居たのだった。


【(*)『七五三』の由来とは…。
 平安時代に行われた3歳の『髪置き』・5歳の『袴着』・7歳の『帯解き』の儀式に在ると
 言われている事。
 そして、昔は、子供の死亡率が非常に高かった為、此の様な子供の歳の節目に成長を祝
 い、子供の長寿 と 幸せを祈願して来たのだと言う事。
 そして、此の習わしは、医療が発達した現代に於いても、『七五三』という形で受け継
 がれて来たと言う事。
 其れ等を話しして聞かせたひな…だったのだ。
 因みに、『七五三』の行事ごとの中でも、男の子は、3歳 と 5歳(男の子は、5歳の
 みという地域も有るとの事。)に執り行われて、女の子は、3歳 と 7歳に執り行われ
 るのだ。
 そして、男の子の3歳 と 5歳は、何方も、袴を着用する事が多いが、女の子の3歳は、
 被布(アンサンブル着物)・7歳は、(七五三用)着物を着付ける事が多い。
 だが、現代では、洋装の場合も有り、男の子は、スーツ・女の子は、ワンピースでのお参
 りも有る様だ。】



だからだったのだろう。
此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、『七五三』についての習わしの話を、ひなから聞いた事で納得はしたものの…。
自分自身が、世間一般的に云う所の『七五三』という行事ごとを経験して来なかった事に、些か、ショックを起こして居たのだった。


だからだったのかも知れない。
此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、ひなからそんな話しを聞いて、思わず、考えてしまったのだった。


“と言う事は、俺自身、親父 や お袋から愛されて居なかったという意味に成るんだろう
 な。
 要するに、葉山家は、其れだけ、冷え切った家庭環境…だったと言えるんだろう
 な。”と…。


勿論、葉山コンツェルン 社長 と 葉山夫人が、殆ど、日本に居る事は無く、それぞれ、海外を飛び回って居たとしても、幼少期の頃の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介にとっては、“仕事なのだろう。”と、認識して居ただけで、本当の処は、何で有ったのか?
幼少期の頃の自分自身では知る由も無かったのだ。


だが、現在の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介には、何と無く分かるのだ。


だから、現在の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、ひなからのそんな話しを聞いて、ふと、思ったのだ。


“其の当時の親父 と お袋の生活…何て。
 今の俺にとって、本当の処、知る由もねぇ。
 けど…よ。
 少なくとも、自分自身の息子に年中行事を教えて遣れねぇ様な親が居るとする成らば、其
 れは、『糞食らえ』だろ。
 俺は、そんな風な親には成りたくねぇな。”と…。



だからだったのかも知れない。
此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、ひなに訊いて視たく成ったのか?
其の当時の牧野家について、ひなに訊くのだった。


「牧野家の『七五三』って、どんな感じだったんだぁ~⁉」と…。


其処で、此の時のひなは、葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介からのそんな質問の話しに応えるかの様に、話しし始めるのだった。


「う~ん、牧野家の『七五三』と云えば、世間一般と同じだったと思いますよ。
 大した事はして居なかった様に思います。」と…。


其処で、此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、更に、突っ込んだ形で、ひなに訊くのだった。


「『世間一般と同じ』って、どんな事をするんだ?」と…。


だからだったのかも知れない。
此の時のひなは、そんな風に、自分自身に真剣に訊いて来る葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介の顔の表情を見て、クスッと、笑い乍ら、返答するのだった。


「そうですね。
 さっきもお話しした様に、私は、女の子なので、3歳 と 7歳の時に、『七五三』の
 時期を迎えました。
 其の当時の牧野家の生活自体、苦しかった様で、レンタルで借りると、お金が掛かるから
 でしょうけど、私が3歳 と 7歳の時に着る着物を母が知り合いから借りて来てくれて、
 其の着物を着付けて貰って、家族で神社に参拝して、千歳飴を貰って、家族で写真を写し
 て…みたいなそんな感じ…だったと思いますよ。
 私自身、3歳の頃の事は、全く、覚えて居ないんですが、7歳の頃の事なら、今でも、何と
 無くですが、覚えて居ます。
 今では、良い思い出ですが…。」と…。


其処迄言い切った時のひなは、チラッと、葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介の顔の表情を見て居たのだ。


そして、ひなが見た此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介の顔の表情と云えば、何とも複雑そうな顔付き…だったのだ。


だが、其れも、致し方無いと云えば、仕方無かったのだ。


何故なら…。
葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介の中には『七五三』の思い出が無いのだから…。
そして、ひなが言って来た「其の当時の牧野家の生活自体、苦しかった様で…。」と、言う話し振りに、“其処迄だったのか?”と、ショックを起こして居たから…だったのだ。


だからだったのだろう。
此の時の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、其れ等全ての事に、複雑に思って居た事も有り、密かに、考えて居たのだった。


“もし、俺が家族を持つんだったら、子供には俺みてぇな思いはさせたくねぇな。
 俺の子供には、『七五三』だけじゃ無くて、日本の年中行事を、全て、経験させて遣り
 てぇ!
 其れが、もし、彼女(ひな)と一緒に経験出来るんだとしたら…。
 最高…何だろうけど…な。”と、密かに、考える程に…。



其れはまるで、嘗て、英徳高校時代の司がつくしを観て居た事で、現在の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介と同じ様に考えて居た頃と何ら変わり無かったのだ。


だが、其れは、司自身、自身の想いが達成される事は無かったのだ。
でも、現在の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介…成らば、叶う事は可能なのだ。


だからこそ…。
現在の葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介は、英徳高校時代の司のそんな想いは知らなくても、“将来の為に…。”と、そんな自身の願望が叶えられる事を信じて、寄り一層、精進し始めるのだった。



そして、其の後、そんな葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介の様子を見聞きして居たひなの祖母で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓にとって、其れは、勿論、好印象と言っても過言じゃ無い状況…だったのだ。


だからこそ…。
ひなの祖母で在る 道明寺HD 社長 道明寺楓は、自身の息子で在る 司に、自身の孫娘で在る ひなの事がバレない様に、細心の注意を払い乍ら、葉山コンツェルンの御曹司で在り、副社長でも在る 葉山龍介 と 自身の孫娘で在る ひなの二人の事を見守り続けて居たのだった。



fin



<此の二次小説『七五三~ひなの恋~【会いたい】…<つかつく>  番外編 ②』の中の
 (*)は、インターネットの検索結果、勝手に、一部、抜粋して、記載文面を拝借して、
 此方の文面にて、記載致して折ります。
 了承の程、宜しくお願い致します。>

×

非ログインユーザーとして返信する