もう、逃げられない…<総優> 前編
<優紀side>
私は、松岡優紀 25歳 現在は、西門流の内弟子をして居る。
現在、西門邸に住み込みもして居る。
と言う寄り、西門さんの自室での同部屋住まいで在る。
一応、私の部屋も、ご用意頂いては居る。
本来は、私は、大学卒業後、OLをするつもりで、就職活動もして居た。
出来れば、私は、英語が生かせる仕事に就きたかった。
何故なら、大学は、国際教養学部 英文科を卒業していた。
“リスニングを活かせる英語の教師を…。”とも思わなくは無かったのだが…。
留学をする機会が無かった為(総二郎さんから、許可が出なかった。)、断念していた。
だから、責めて、“英語の活かせる職種を…。”と、思い、就職活動に頑張っている最中(さなか)…。
道明寺さんと総二郎さんに寄って、つくしと私が、就職活動をして居る事が見付かってしまい、阻止されてしまっていた。
(つくしは、現役司法試験が合格したので、法律事務所を探していたみたいだった。)
なので、結局、就職活動をしないまま、西門流の内弟子という事に成ってしまった。
実は、私は、総二郎さんとは、高校生の頃、一度、関係は持ったが…。
総二郎さんから言われた言葉で、その後は、仲間としての付き合いしかして居なかった。
~~【総二郎さんから、高校生の頃に言われていた言葉…。】
「此れからは、仲間として、宜しく‼」 ~~
でも、何故か、私が、大学生に成った頃に、総二郎さんから誘われる事が増え、二人っきりで、食事に行ったり、映画を見に行ったりする事が増えて行った。
で、気が付いたら、西門家所有の総二郎さんのマンションで、お茶を指導してもらう事が多く成っていた。
で、その事をご存知だったのか?
家元夫人から、提案されていた私だった。
「優紀さん、私(わたくし)に師事為さった方が、宜しくてよ‼
私(わたくし)が、お教えするわ‼」
と、仰って下さり、いつの間にか、家元夫人に就いて、婦人会の総会や会合に同席させてもらう事が増えて行った。
そして、私は、総二郎さんから、ペアリングを貰って、左手の薬指に嵌めてもらって居た。
私の指輪のサイズを総二郎さんにお話しした事も無いのに…。
何故知っているのか?
不思議で仕方なかった。
なので、総二郎さんから話しを訊いてみた。
“そんな事、当り前‼”と、言わんばかりに飄々と言われてしまって、呆気に取られた事は、言うまでも無かった。
「あの~、訊いても良いですか?
如何して、私の指のサイズ、ご存知、何ですか?」
「はぁ~、そんな事、簡単だろ?
優紀が寝て居る間に、紐を使って、計ったんだ‼」
私は、思わず、“ああ、成程‼”と、納得してしまった。
そして、ペアリングを貰うまでの私は、総二郎さんの事を、『西門さん』呼びして居た。
其処で、言われた言葉に私は、驚愕しか無かった。
「もう、ペアリングを左手薬指に嵌める意味は、優紀も分かってるよな?
俺と優紀は、もう、既に、付き合ってんだろ?
俺が、『優紀』呼びしてんだから、優紀もいつもでも、『西門さん』呼びは、可笑しい
だろ?
そろそろ、名前で呼んでくれよ?」
私は、驚愕で、如何したら良いのか?
分からずに居た。
だって、私は、いつから、総二郎さんとお付き合いが、始まって居たのだろうか?
分からずに居た。
だから、家元夫人から、怪訝な顔付きをされてしまったのだろう?
~~【私が、家元夫人にお話しした言葉…。】
「私は、家元夫人のお付きとして、同席させて頂きましても宜しかったのでしょうか?」
「………」
家元夫人は、言葉を発する事無く、ご婦人方の接待を為さっていた。 ~~
私は、何だか、家元夫人には、申し訳無い事をしてしまった様な気がしていた。
だが、私は、“総二郎さんとお付き合いして居たんだぁ~‼”と、嬉しくも有ったのは、確かだった。
そんな事が有った数日後、総二郎さんが、美作さんから呼び出されたとかで、私共々、招集が掛かったらしい。
で、私は、総二郎さんと一緒に、美作さんの会社が経営しているという、レストランに向かって居た。